富岡保育園へようこそ!「伸びる。成る。子どもも大人も互いに伸び合い、成長し合う『大きな家』でありたいと願い、社会福祉を支えています。

富岡保育園

副園長ブログ

バリア“アリー”な福祉施設

おはようございます。地元の町民体育大会のテント張りをしてきた村上です。ワンタッチでなく、何本もの棒を組み合わせるテントは“不便”極まりありません。だからこそ“人と人との助け合いは絶対条件”となります。逆を言えば“便利”になればなるほど“人と人との助け合い不要”になってくるかも⁉︎


トミホ(富岡保育園)は社会福祉施設でありながら、なんと‼︎「バリアフリー」で‥「ない‼︎」んですね。建物は江戸時代末期に建てられた廻船問屋の屋敷を、先先代から丁寧にリノベーションを繰り返し現在の園長が引き継いでいる建物です。なので‥建物の中は“段差だらけ”です。乳幼児や高齢者にとっては“不便”極まりない環境です。


しかし


だからこそ得られる益があることに気づいて頂きたいと思います。“段差”があることで、バリアフリーの環境では考えない「つまずくと危ないから」と足を上げ下げするという運動を行います。乳幼児にとっては、1つ1つの“段差”を乗り越える力は、生きていく力になるでしょう。もちろん、まだ歩き始めて間もない乳児にとっては、危険な場面も多々あります。そんな時に必ずと言っていいほど、手を差し伸べたり、抱っこして持ち上げたりする子どもや大人が現れます。“人と人との助け合い”が無ければトミホ(富岡保育園)では暮らしていけません。

便利で快適な暮らしが進んでいく世の中にあって、あえて“不便”な『バリア“アリー”』な環境を守っていくことは、“人と人の助け合い”を環境を通して自然に学んで欲しいとの願いが先先代から引き継がれているトミホ(富岡保育園)の保育です。

“段差”だらけ
2019-10-13
“磨りガラス”の少年

おはようございます村上です。今年最大級との台風が接近中な日本でありますが、皆さまご無事でしょうか。自然災害は予想を遥かに超える被害を受ける可能性があります。そのため、できる準備をすることはもちろん行政や専門家だけに頼らず、「情報収集」を個人でも積極的に行い、“スピーディー”に判断して動かなければなりません。正しい「情報」が、テレビにあるのか⁉︎SNSにあるのか⁉︎それとも直接肌に当たる風にあるのか⁉︎


さて、先日夕方過ぎ(18時頃でしょうか)の出来事でした。日が暮れるのか早くなってきたこともあり、子どもたちは何だか寂しくなるのでしょうか⁉︎「お母さんお迎え遅いな~」とボヤいていた時。ある男の子が僕を急いで呼びました。「村上先生‼︎早く来て‼︎」

何事だろうかと急いで駆け寄ると、“磨りガラス”の所に数人の子どもたちがワイワイと集っています。「スゲー‼︎見てみて‼︎外の家が、めちゃくちゃカッコよく見えるんで‼︎」

磨りガラス越しの建物は、僕が居座っている保育Laboなのですが、その建物の中には12個の間接照明があり、ちょうど付けっ放しでいました。磨りガラス越しにLaboを見ると、磨りガラスには、「光の多角形」が映し出されていて、とても綺麗で、それを見た子どもたちは感動して僕を呼んだのでしょう。


つい、僕たち大人は、教材や玩具などを揃えれば子どもたちに遊び(※学びも含めて)が充実するであろう、満足するであろう、展開されていくだろうと。逆を言えば、遊びを(※学びを含む)充実させるためには教材や玩具を充実させれば良いと勘違いしてしまいます。しかし、子どもにとっての遊び(※学び)は、教材や玩具の中だけではない⁉︎すぐ目の前の僕たち大人が見過ごしてしまう所にあるのでは⁉︎

そして、子どもたちは学んでやる‼︎という気持ちで遊んでいないのはよくお分かりだと思います。ただ「おもしろい‼︎」「凄い‼︎」「綺麗‼︎」と心を揺らし感動する体験を積み重ねている。そのことの“磨りガラス”の少年から教わった気がしました。


※磨りガラス(すりがらす)は、表面に微細な凹凸をつけたガラス。光を散乱させ不透明である点、摩擦が大きい点などが利用される。

感動の“光”
2019-10-12
どこと【接続】するのか⁉︎

こんばんは。「教育セミナーinおかやま」に各参加者がスーツの中、Tシャツで参加してきました村上です。

なぜ、学校教員向けのセミナーに保育園勤務の僕が参加したのか⁉︎

保育園然り、幼稚園、こども園、幼児教育施設は、小学校との【接続】を考える責務があります。その為には、現在の、またこれからの学校教育の方向性などをきちんと学ぶ必要があるからです。

文科省や経産省の人はもちろん、Googleなどの企業の人たち、また大学の教授や現場の教諭陣も含めてのセミナーでしたが、1つのキーワードは『新学習指導要領』です。保育園にも「保育所保育指針」や幼稚園にも「幼稚園教育要領」などがあるように、いわば学校の法律のようなものです。それが小学校では2020年から。中学校では2021年から。高校では2022年から実施されていきます。

『新学習指導要領』のポイントは何と言っても“主体性”“対話的”“深い学び”の3点セットです。この3点セットを効率よくできる1つの「道具」としてICT(コンピュータやインターネット技術)を取り入れていきましょうよ‼︎とのセミナー内容でもありました。教育の「道具」も時代とともに進化していて、デジタル教科書なども既に導入されている学校もあります。教師の役割は、「上手に教えること」から、「子どもの学びに寄り添うこと」に「道具」の進化とともに変わっていくでしょう。

(ICTを取り入れた授業では、個別に習熟度に沿って、また進度にそって出来るとともに、周りとの対話も生み出される結果が出ています。)

『新学習指導要領』でのポイントの“主体性”“対話的”“深い学び”。この3点セットについて、幼児教育ではどのように【接続】を考えれば良いのでしょうか?まさに、この3点セットの要素を全て含んでいるのが『子ども同士での“遊び”です』子ども同士での“遊び”に僕たち幼児教育者はもっと着目していかなればなりません。

そして、さらに登壇者の言葉を借りるならば、【接続】は単に小学校や、中学校、高校のためではなく、『世の中との【接続】』を考えなくてはいけない。まさに、保育や幼児教育、また子育てのヒントにもなり得る言葉でした。


学校や保育園、幼稚園の先生だけが教育を学んだり語ったりする時代ではもうありません。多様な人達で、今を生きる大人が子どもたちに希望を与えられるよう、皆で教育についてワイワイと学び語る時代です。トミホ(富岡保育園)に関わる全ての人たちも含めて皆で学び語っていきましょう。

2019-10-11
あなたの【分類】は⁉︎

こんにちは。高校時代、授業中は漫画を読むか眠るかだった村上です。よく立たされたり正座をさされておりました。

そんな勉強嫌いな僕の今日のテーマは‥「進化生物学」の視点から自分自身を省みたいと思います。

ちなみに、僕たち人間は「真核生物」です。「真核生物」とは⁉︎“核”(生物が生きる設計図)をしまう場所がある生物のことを指します。

(※詳細を知りたい方は図書館へ)

逆に、“核”をしまう場所がない生物を「原核生物」と呼びます。生物は基本的には「真核生物」と「原核生物」に【分類】できます。

しかし人類は、発見と研究から、あらゆる【分類】をしていくことになります。分かりやすい例えでは、「動物か植物か」という分類です。でも、『生物の世界はまだまだ分からないことだらけで、生物に関する知識・認識は、日々変化しています。」と研究者たちは述べます。また加えて『私たちが確実に知っているのは“まだ全てを知らない”ということだけ』

一度は聞いたことがあるかもしれない「ミドリムシ」。実は植物ではないのに、ちゃっかり葉緑体をもっているんです。そして光合成をして生きています。ミドリムシは真核生物の細胞に単細胞の植物の仲間が飛び込み合体し、“共生”したことで新たな藻類として誕生したと考えられています。他にも例を挙げるとキリがないのですが、要するに「【環境】が、生物の生き方や生物そのものを変える進化を引き起こしてしまった」と考えられます。


僕たち人間は、何かと【分類】したがる性質を持っています。それは【分類】すれば分かりやすいからです。しかし進化生物学からの視点から見ると、そう易々と地球上の生物を【分類】するのは難しそうです。僕たちはつい、「この人は〇〇だ」「あの人は△△だ」と【分類】してしまうことがありますが、それもまだ、その人の表面上で発見できている部分で【分類】してしまっているだけで、まだ見えていない部分もたくさんあります。

そしてもう1つは【環境】です。もし僕が、あなたが、今の現状に悩みなどを抱えるものならば、1番手っ取り早い解決策は【環境】を変えることです。もしかすると【環境】を変えることで、ミドリムシのように、自分とは違う誰かと出会い“共生”していくことで、新たな自分になることが出来るかもしれません。


2019-10-10
祝50回記念は僕の“自己紹介”です

こんにちは。副園長ブログ開設50回記念を迎えました村上です。毎日購読の方お時間を割いて下さりありがとうございます。今後もその時間に見合うことができるよう研鑽して参りたいと思いますので宜しくお願いします。


さて祝50回記念を迎えた今日の内容は、毎日ブログを書いている村上ってやつは、どんな人なんだい⁉︎村上の書いた記事を毎日読んでも大丈夫なのか⁉︎その点についてお答えするために“自己紹介”をしてみたいと思います。

僕の名前は村上太志(むらかみ たいし)と言います。よくある自己紹介ですが、名前の由来は「太い志しをもてる人間になれるように」とのことです。幼少期、小中学高と地元の寄島町の学校に通っておりました。皆さまが想像できる範囲の少年で、学校から帰るとランドセルを放り投げて自転車に乗って、友達と町内をぐるぐる徘徊して遊び回っておりました。高校は現在勤めさせていただいている保育園の前を自転車で通って笠岡市内の高校へ。家から50分程度漕いで通った記憶があります。学校生活や態度は、正直優等生とは程遠く、いじめたこともありますし、いじめられたこともありますし、胸を張って誇れるような学生ではありませんでした。学業に関しても学年が上がる度に偏差値が下がり、やる気も下がり、それと同時に夢や希望や目標も特に描くことが出来ずに、高校3年先の時には学校へ行かない日(不登校)もあったり、プチ家出もしていた学生でした。そんな僕にも契機が訪れました。担任の先生が「学校休むのなら、私の子どもが行く保育園にボランティアに行ったら許してあげる」と言われ、勉強するくらいなら保育園に行った方がマシだろと思いながら行ったのを覚えています。いざ、保育園へボランティアへ行くと、子どもたちのエネルギーに感化されて、無気力だった自分が嘘のように毎日楽しい気持ちになりました。1日の予定が1ヶ月近くボランティアに行き、そして高校へも通うこともできるようになりました。そして、“自分が役に立った”という自己肯定感を頂いた僕は、迷うことなく保育士の資格をとる進路に向かいました。県内の短大へ行くと、待ち構えていたのが、全員知らない人たちの集団でした。人見知りと、まだ思春期で女性ばかりが苦手だったこともあり、短大生活は緊張の日々が続いていました。しかし、類は類を呼ぶようで、人見知り同士での友達が作られて行きました。そして、卒業研究で大勢の前で発表する際に、一緒に取り組んだのが人見知り同士での友達でした。そのメンバーでの発表は準備段階から本番まで、僕も含め人前で話をしたり表現することが大の苦手ということで大変苦労した記憶がありますが‥その試行錯誤の連続が、今となっては、“為せば成る”という信条にも繋がる良い体験でもありました。

そして遂に社会人への突入です。現在の富岡保育園に就職することになり、当時から上司や先輩仲間の仲が良く、すぐに打ち解けることができました。20代の頃は、仕事では走り回り、ミスもたくさんしましたが、その度に上司や先輩がカバーしてくれ保護者の方にも助けてもらっていました。プライベートでも、走り回り遊び回り周りに大変迷惑をかけ、そしてその度に助けてもらっていました。今となっては若手の保育者たちや保護者の方へ声をかけたりする立場ではありますが、まず胸を張って示せる人物には程遠い僕でした。そんな僕に、またもや契機が訪れました。主任保育士、また副園長という肩書きを指名されたことにより、「目指す保育園とは?」「僕の夢とは?」を考えて行動するようになりました。そして31歳になって初めて真剣に抱いて夢が『世界一幸せな保育園を作る』ことでした。夢を実現するために、園からの支援で日本国内のあらゆる保育園や大学に視察や研修に行くようになりました。人生で初めての自分から学ぼうとした、勉強しようと思った、そんな契機にもなりました。そして間髪入れぬ間に最大の契機が訪れました。昨年、健康に自信があった僕はガンを煩い治療しなければ1ヶ月命がもたないと告知されることに。ここで初めて、「人生とは?」「生きるとは?」「死とは?」について真剣に自問自答するようになりました。そして、その時間を支えて下さったのは、ブログ読者も含め、幼少期や学生生活、社会人生活で出会った仲間でした。仲間の有り難さ、人の有り難さに、心底触れ感謝する日々でもありました。そして皆さま頂いたエネルギーで奇跡的に命拾い⁉︎もしくは『2回目の人生』を頂いた村上です。まさに“時間は命”なんだと日々自分に言い聞かせ、今まで頂いた全ての御恩を、次世代に向けて送り、希望を繋げる一心です。過去に誇れるようなこともなければ、むしろ迷惑ばかりをかけてきた、一般的に世間から見れば保育者・教育者としては不適合者なのは僕にも分かっています。しかし、そんな僕でも、次世代へ希望を繋がることを使命として『世界一幸せな保育園を作る』ことを夢とし、実現するために頑張らせてもらえないでしょうか?

長々と綴ってしまいましたが、これが僕です。契機を迎える度に変わっていく自分を最近では面白いと思えるようになってきました。たぶんブログ読者の方にも“契機”は必ずあったであろうし、これからもあるんだと思います。自分の『人生のストーリー』を周りと共有できるのもホモ・サピエンスならではだと思います。

さて、今日は、また明日からは、どんなドラマが待っているのでしょうか?

『人生のストーリー』をどのように編集していくかは“自分次第”なのかもしれませんね。

2019-10-09
あなたは“希望を語る大人”ですか?

こんばんは。副園長という肩書きを利用して、お昼に主任先生を含むリーダー4人と会議を行った村上です。

リーダー会議の目的は、「チーム保育の質の向上です。」それが、園に関わる全ての人(子どもや保護者、地域の方々や学生)の暮らしの安心に還元できると僕は思っています。

まず、富岡保育園が属する社会福祉法人「伸成会」の理念から振り返りました。要約すると、「大人も子どもも伸び合い成長する集団」です。子どもはもちろんのこと、大人(保育者、保護者、地域の方々など)も成長する。まさに生涯教育の学びの場であることが示されています。

子どもにとっては、初めて経験する大人の集団が、保育者集団であることは間違いありません。その集団がどのように機能して子どもに希望を示せるかで、日本の未来は大きく変わるんだと思っています。不平不満や愚痴が蔓延した集団の中で保育される子どもと、夢を語り仲間で意識を高め学び合う集団の中で保育される子どもとでは、その後の人生の、大人への指標に大きく差が出るのではないでしょうか。

もちろん、トミホ(富岡保育園)では、後者である「夢を語り仲間で意識を高め学び合う集団」を目指しいます。その為の仕掛けとして、まず園の看板である中心を担うリーダーが学ぶ姿勢を示すことで、若手やベテランの保育者に良い影響を及ぼし、学び合う集団へと変貌すると考えています。

副園長として、求め過ぎてリーダーの保育者たちにプレッシャーを与えてしまう懸念もありましたが‥トミホ(富岡保育園)には、リーダーの抱える悩みへもフォローができるベテランの保育者が揃っています。若手とリーダーとベテランが共存共栄、切磋琢磨できる循環があるからこそ、僕も園長も全幅の信頼を持って任せられることができます。とても有り難い人材に現在のトミホ(富岡保育園)は恵まれています。

法人の理念、そして園の保育理念(遊べる子ども)について、再度リーダーたちと振り返りながら、理念からブレずに保育することを改めて再確認し、今後の保育の質がの向上に繋げていけるリーダー会議でした。


※僕、個人が思うリーダーの資質とは、まずは『希望を語れる人間』であるか。誠実でいながら、場を和ますユーモアを持ち合わせているか。そして自己の精神状態をコントロールできるか。この3点を毎日自問自答して園の仕事に携わっております。また副園長としての職務についてアップデートを行い、今後は、保護者やブログ読者の保育の質の向上をブログやまた他の方法をとりながら社会に向けて率先して取り組んでいきたいと思っていますので、一緒に学び合っていきましょう。ご協力宜しくお願いします。

2019-10-08
【メタ認知能力】とは?

お疲れ様です。毎日ブログ更新中の村上です。

なぜ僕がブログを毎日更新できるのか⁉︎僕が知識や教養、情報を人より沢山持っているから⁉︎ではありません。知識や教養や情報は人並みか、まだまだ知らないことや学ぶべきことばかりです。では、なぜでしょう?

それは、知識や情報を発信する場、“副園長ブログ”というツールを作って、毎日更新すると自分で課しているからです。なので、発信するためには、毎日何か新しいことを知り学ばなければなりません。(実は、そこそこ追い込まれていたりもします)

「新しい知識や情報を学んでから発信する」ではなくて、「発信するために新しい知識や情報を学ぶ」という逆転の発想です。33歳の僕が、大きく成長するための戦略です。 


では、今日発信させて頂くキーワードは‥何度かブログ内で出ました【メタ認知能力】についてです。【メタ認知能力】とは、簡単な言葉を使って説明しますと、「自分自身のことを客観的に認知する能力」です。具体的には、モニタリング(観察)とコントロール(制御)できる力です。

(※いじめなどの問題にも関わる力です。)

【メタ認知能力】は、全ての人が持てる力であり、幼児から大人まで持ち合わせています。そして能力はレベルを上げれることができる⁉︎

特別な訓練をすれば【メタ認知能力】がUPしていくわけではなく、日々の遊び、生活や暮らしの中で身についていくものなのです。現在の学校教育では、“主体的”“対話的”“深い学び”がキーワードになっている「アクティブラーニング」という視点が大きく関わってきます。

もちろん保育園生活にも、むしろ大半が「アクティブラーニング」の視点で幼児教育は行われています。例えば、園庭の隅で泥団子を作る3人組をご想像下さい。何度も試行錯誤を繰り返しながら泥団子を作っていきます。もちろん途中、何度も出来たと思ったら壊れくじけそうになりながらも、となりの友だちから励まされたり、もしかすると「ここの土が固まりやすいよ」「この砂が良いよ」と対話をしながら、自分で考え、そして協働しながら深い考察をし泥団子を完成させていきます。そして完成させた泥団子を友だちと見せ合いながら、「次はあそこの土で作ろう」などと振り返ることをするかもしれません。まさにアクティブラーニングの実践を保育園の園児は日々の遊びでしています。

そして、その日々の遊びが【メタ認知能力】の発達に大きく影響していることに注目しなければなりません。


ちなみに、大人になったら⁉︎どのように【メタ認知能力】向上されば良いの?というご質問が飛び込んできそうです。この点については、僕もまだ勉強不足なのですが、まずは無意識に過ごしている日々を意識的に“振り返る”ことから始めることです。まずは自分自身を「観察」する癖をつけていきたいと思います。(例えば、毎日1行日記をつけるなど。僕で言えば毎日のブログ更新もそれにあたります)自分自身を上手く「観察」できるようになれば、自ずと「制御」もできるようになってくるのではないでしょうか?

2019-10-07
“物語編集力”

こんばんは。昨日フェスに参加された方は筋肉痛などになっていないでしょうか⁉︎本日、地元の秋祭りに参加してきました村上です。

実は僕は地元の“伝統”ある⁉︎祭りが苦手です。なぜかというと、準備にしても「絶対に変えない」ことをコンセプトにしているため、効率的に行う工夫などの意見は言えません。いくら大変で、疲労が困憊しようとも、“非効率さ”を求められます。その理由は、“不透明”な“伝統”です。


しかし、この“非効率”や“不透明”、伝統”などの価値観に人類の歴史は熱狂してきました。(詳細をもっと知りたい方は「ホモ・サピエンス全史」をお読み下さい。)お祭りなどには必ずと言っていいほど“物語”がついてまいります。人類のあらゆる災難などを含めて希望に導くための“物語”が編集されています。それは科学的根拠とは相入れますが人類は価値を見出してきました。(その最たるものが宗教です。)


科学の進歩が著しい中、僕たち保育・幼児教育は科学的根拠に基づいたものを実践していくと同時に、人類が「子育て」に価値を持ち、希望を生むことができる“物語”を編集していくことも必要なのではないかと個人的に考えております。そして、その“物語”こそが富岡保育園が『世界一幸せな保育園』になることです。ブログ読者も含めて皆さんご協力よろしくお願いします。

2019-10-06
フェスティバルに『頑張る』は不要⁉︎

ただいま『にじフェス』の反省会を終えてきました村上です。ブログ読者の中には、『にじフェス』へ参加された方もおられるのではないでしょうか。お休みの朝から、子どもたちも含めた大勢の人と触れ合い体を動かし、さぞお疲れなのではないでしょうか。ゆっくり心と体を休めて整えて下さいね。


今回の『にじフェス』については、にじフェスリーダーから3点の目的を持って取り組むよう、とみほ(富岡保育園)保育者に話がありました。「楽しむこと」「日頃の保育を発信すること」「子どもはもちろん、保護者の方、またボランティアの学生、そして地域の方々と皆で触れ合うこと」この目的を達成するために、準備から当日まで試行錯誤がねられました。ここで、ブログ読者も含め、また今日のフェスティバルに参加した方も含めて、少なからず『頑張る』は⁉︎何か頑張って競い合ったり、年齢別に頑張って練習したお遊戯などを披露したりしないの⁉︎と、思われた方もおられるのではないでしょうか。もしかすると、そのような、全員揃って競い合ったり、頑張って練習したお遊戯などを望まれたり、もしくは無かったことを残念に思われた方もおられるかもしれません。


なぜ?『頑張る』が、にじフェスには無かったのか⁉︎


実は


今までの皆さんがご想像される経験された運動会にはメリットもあれば、大きな落とし穴が潜んでいたんです。それは、『頑張る』という言葉には、ガッツや根性といった精神論にすり替わる場合があり、結果が出ないと、「自分には根性がなかったのか」と自己否定につながりかねない。また、その結果自体も、もしも「一等賞とれて、良かったね」と声をかけてしまうものならば、“順位”や“勝ち負け”についての大人がしきりに褒めるならば、「自分の価値は他者との【比較】で決まる」と思い込む人間に育ってしまいます。

 

その落とし穴を知っていたからこそ、他者との【比較】が子どもはもちろん大人も感じられないよう、そして挑戦する意欲を守ることができるようか、フェスティバルの内容には専門的な保育視点でのプロの保育者として仕掛けが行われていました。


だとしたら、『頑張る』って言っちゃダメなの⁉︎と思ってしまいがちですが。ダメではなく注意が必要だということです。他者との【比較】ではなく、その子ども自身の工夫や試行錯誤といったプロセスに気づいてあげて「頑張ったね」と声をかけることで、メタ認知(※難しい用語を使って申し訳ありません。また後日説明させて頂きます)として子どもの中に定着していくことになります。

目的達成の瞬間
2019-10-05
持ち物は“楽しむ気持ち”

こんにちは。市内の小学校へフラッと見学へ行きました村上です。小学校との接続カリキュラムの1つであるアプローチカリキュラムの作成にあたって、僕は座学が苦手なので、とにかく公立や私立も含めて多くの学校(小学校 中学校 高校)へ行き、校長先生の方針を聞き、授業内容や雰囲気を感じとり活かしていきたい思っております。(突然の訪問にも関わらず、今日行かせて頂いた小学校はこころよく見学させて下さいました。本当にありがとうございました。)


さて、午後からは明日の『にじフェス』の最終⁉︎準備です。『にじフェス』のリーダーの指揮のもと、にじフェス感漂う楽しい準備の時間でした。ちなみに準備物で一番重要だったのが“楽しむ気持ち”だったので準備の時間は大成功でした。明日が楽しみです。

(↓プログラム内容です。ご参照下さい)


『にじフェス』富岡保育園主催

~そらまでとどけ ひかりかがやく にじいろフェスティバル~


ようこそ『にじフェス』へ‼︎0歳から120歳まで誰でも歓迎‼︎みんなで思うぞんぶん楽しみましょう♪さあ、あなたもレッツ『にじフェス』


[プログラム]

•フェスだ‼︎全員集合‼︎

•おじいちゃんとおばあちゃんとおさんぽ♪

•月にかわっておしおきよ‼︎セーラー戦士VS悪の組織ギャラクシア~決戦の時~

•セレクトたまいれ~ど・れ・に・し・よ・う・か・な?~

•T☆T親子のTOMIHO○×クイズ

•フィナーレ


[日時]

•令和元年10月5日(土)9時~11時30分

[場所]

•笠岡市民体育センター

[おねがい]

•排泄を済ませて8時50分までに現地にお集まり下さい。

•動きやすい服装でお越し下さい。

•履き物は裸足でも体育館シューズでもOK。

•持ち物は不要ですが、楽しむ気持ちは忘れずに。

•飲み物は各自でご用意下さい。会場内は飲食禁止になっております。

•自動車の方は安全運転で、出来るだけ乗り合わせてお越し下さい。


(プログラムdesign 新人保育者兼イラストレーターHO)


プログラム内容全公開
2019-10-04
【価値共創】

お疲れ様です。血液検査の帰りに保育園に寄りました村上です。ある女の子(2歳8ヶ月)に注射の跡のテープを指さされて「どしたん?チクしたん?」と聞かれまして「そうなんよ。注射してきたんよ。」と答えると、頭をナデナデしてくれるという最上級のサービスを受けました。


「サービス」について、少し考えてみるとある矛盾が生じます。例えば、まわらない鮨屋さんで席に座った時のことをご想像下さい。店員がメニューを持って伺いにくるわけでもなく、親方のタイミングで「お飲み物は?」という質問を投げかけられます。そのような接客サービスですが、まわらない鮨屋に行くと満足して帰る自分がいます。また、少しお高めのカフェ チェーン店のスタバのドリンクサイズに注目してみましょう。スモールやラージなどであると分かりやすいのですが、トールだったりグランデだったり正直分かりにくいものです。

まわらない鮨屋やお高めカフェ チェーン店スタバの共通点は⁉︎両者とも値段設定は一般的には高いかもしれませんが、なぜかお客さんの満足度が高い。

なぜか?を考える前に、満足度や価値の基準についてです。世の中を見渡せば、“便利”なものや“効率的”なもの“分かりやすい”ものに需要を感じますが、それとは反対の“不便”で“非効率”で“分かりにくい”ものの方が価値が高かったりもします。(ピカソの絵やフェラーリなどをご想像下さい)


では、鮨屋やスタバでの「サービス」に共通する「サービス」の正体とは?鮨屋で食べるお客さんは、まわらない鮨屋では、くるくる寿司とは違う態度や振る舞いを自ずとしています。そしてコンビニよりスタバで購入したコーヒーは味わって飲むでしょう。

何が言いたいか⁉︎「サービス」とは、『提供者だけでなく、お客さんも一緒に参加してこそ価値が高まる』という事実です。


さて、今週の土曜日(10月5日午前9時開始)開催されます『虹フェス』。皆さんのご想像される運動会や発表会などで行われるであろう予行演習や、可愛い動物などが散りばめられた飾り付けなどは、“あえて”行わず、取り付けずに行います。

“あえて”なぜ?富岡保育園の保育者の価値をそこに置いていないからです。可愛い動物の飾り付けを上手に作って保育者の価値を参加者(子どもたちや保護者や地域の方々)に見て頂くつもりはありません。毎日の暮らし(保育)の中での子どもと保育者の関わり、そして子ども同士の関わり、また保育者同士の関わりを感じとって頂きたいと思っています。そのためには、毎日の暮らし(保育)を大切にできるかです。


そして、虹フェスの価値を高めるためには、鮨屋やスタバと同じなんです。提供者(保育者)と参加者(子ども達や保護者、地域の方々や学生達)が『一緒に価値を作る』【価値の共創】が必須です。是非とも宜しくお願いします。



2019-10-03
“お金の正体”を“ままごと”から学ぶ

お金に無頓着な独身街道まっしぐらの村上です。皆さま1日お疲れ様です。

10月に入り、消費税が10%になりました。3.4.5歳までの保育料が無償化になりました。お金の制度が目まぐるしく変わる中、そもそも「お金って何だっけ?」の疑問を考えたことがあるでしょうか?学生時代に、“お金の正体”については授業で教わることもなく、自分から調べて考えようとしたこともありませんでした。ただ何となくですが、「お金は大事だよ」「無駄遣いせずに貯金しなさい」そのような漠然とした教えは受けた記憶もあります。

“お金の正体”を知るべくインターネットを用いて調べてみると‥その昔、農業や漁業など各々が各得意分野で得たものを『物々交換』していたところから始まります。そこから貝などを用いるようになったとか。

『物々交換』をする際に、交換する決め手(理由)は何なのだろうか?と、僕なりに考えてみました。その品物のクオリティを自分で見極めて交換するのか⁉︎それとも、交換する相手を見極めて交換するのか⁉︎

たぶん僕が当時の『物々交換』をする時代に生きていたら、後者なんだと思います。各得意分野で得たものですから、得意分野の方が一番品物のクオリティは分かるはずです。得意分野でない僕にはクオリティを見極める力はないでしょう。だからこそ、交換する相手が【信用】がおけるかどうかの見極めをします。


今日ままごとしている女の子から四角に折られた折り紙を「はい!100円でーす」と渡されました。この女の子は僕のことを【信用】して、この折り紙をお金に見立てて受け取ってくれるだろうと渡してくれたんだと思います。そして僕は、その【信用】を裏切らないように受け取り100円を稼ぎました。


(保育料無償化について少し個人的見解で触れてみたいと思います。国民の税金によって保育料が払われることになるのですが‥言い換えるなら、保護者からのお金だけではなく、日本国民全体からの【信用】を預かって、未来を担う子どもたちの保育を僕たちはするということです。保育料無償化によって、僕たち保育者にかかる責任や期待はとても大きくなったということです。だからこそ、今後さらに科学的根拠に基づいた専門性を示しながら【信用】を保護者の方はもちろん日本国民全体から得ながら保育をしていくことが務めと思っています。)


“お金の正体”とは⁉︎人と人との【信用】なのかもしれません。そして幼児教育でお金についての学びをする際には、【信用】の稼ぎ方について子どもと一緒に学び合いたいと思います。子どもたちが熱中する“ままごと”は、【信用】と【信用】のぶつけ合いなのかもしれません。


(↑今日のブログ内容でも分かるように、僕自身が本を読んだり、暮らしの中で、「?」と思ったことを、あの手この手で調べて自分なりに考えて言語化して発信するブログでもあります。正しいかどうかはさておき、保育園に関係するかどうかはさておき、もしかするとブログ読者の考えるキッカケになるやも⁉︎との思いも持ちながら、自己満足に近い記事でもあります。ご了承下さい。)

2019-10-02
“ボーッとする時間”の価値

歳をとるにつれ1日、1年が早く感じるようになってきた村上です。10月に入りましたがまだまだ暑い日が続き、水遊びをする子どもも多くいたように思います。

時間経過感覚は、年齢を重ねるごとに早く感じるようで、子どもと大人では約4倍ほど違うのだとか。


さて、午前中ひとりの女の子が廊下に転がって“ボーッとする時間”を過ごしていました。何を考えて“ボーッとする時間”を過ごしているかは僕には分かりませんが、転がり方を変えたり、視線を変えたりして“ボーッする時間”を過ごしていました。 


実は、この“このボーッとする時間”こそが、他の誰のものでもない自分自身の人生のモノサシ、『人生の羅針盤』を育むために最も必要な時間ということを皆さん知っていましたか?

知らずに子どもから“ボーッとする時間”を奪ってしまったら⁉︎結果的に他人や世間のモノサシに依存することでしか自分の人生を評価できない人になってしまう可能性が高まってしまうかもしれません。


廊下に転がって“ボーッする時間”を過ごすこの子どもは、「自分と向き合い」そして「情報や記憶を整理して」「脳に休息を与える」ことにより、また新たな“ひらめき”を持って遊びに移っていきます。この度は、僕も含め、友達や保育者が誰も邪魔をすることなく“ボーッとする時間”を過ごすことが出来てひと安心でした。



人生の羅針盤を育む時間
2019-10-01
“特別ルール”を考察してみる

久しぶりにトイレ掃除をした村上です。いつも他の保育者の方に任せっきりになってしまい申し訳ないなと反省もするところです。そんな久しぶりにトイレ掃除をする村上を心配した子どもたちが、普段トイレ掃除をする保育者の作業の工程を事細かく教えてくれます。中には見かねてか手伝ってくれる子どももおり大変助かりました。


さて、今週土曜日開催予定の“にじフェス”(そらにとどけ ひかりかがやく にじいろフェスティバル)では、体育館一面に保育研究記録を張り出す予定です。保育研究記録とは、今年度から取り組んでいるのですが、クラス担任など問わず、保育者が子どもたちの遊びを見守り、見守った背景(エピソード)から子どもの育ちや発達を考察して捉えていきます。僕も時折、保育研究記録に挑戦してみるのですが、考察していくうちに、たいていは子どもの育ちから僕自身が学ぶことの方がほとんどでもあります。


今日職員向けに綴った僕の保育研究記録を紹介させて頂きます。

(※少し長文になりますがご勘弁下さいませ。)


【柔軟な特別ルール】

~背景・エピソード~

おやつ後の自由遊びの時間。園庭にいますと、A児(6歳4ヶ月)B児(5歳6ヶ月)C児(5歳8ヶ月)D児(6歳0ヶ月)E児(5歳8ヶ月)F児(5歳3ヶ月)から鬼ごっこに誘われました。

このメンバーの中では、A児がリーダーシップをとっているようで、しっぽ取りや氷鬼ごっこ、ノーマルの鬼ごっこと変えていき遊びました。

僕は何度か走ると疲れたので「ちょっと休ませてほしい」と頼みました。するとA児が代弁してくれて「今、村上先生タイムだから無しな!」とメンバーに伝えてくれます。

子ども同士で鬼ごっこが展開されていく中で、途中にG児(5歳1ヶ月)やH児(4歳6ヶ月)が加わっていきます。

走る速度や、動きの機敏さや身のこなし、また逃げ方や捕まえ方の策略の講じ方は個々に違うのは僕から見てもよく分かります。 

すると、何度か同じ人が鬼になると、誰かしらが「〇〇ちゃんはバリアありな」と、特別ルールが作られます。そして、C児がタッチされて泣いていると‥(僕の目からはタッチされて鬼になったことが嫌なのかプライドが許さなかったのかで泣いていたように見えましたが)何人かが駆け寄り、F児が僕のところへ来て「足に虫がついたから泣いたんで。でも、もう虫おらんから大丈夫なんよ」と言って、また駆け寄っていきます。

すると、A児が「今、C児は鬼が出来ないから、僕から始めるな」と、またしても特別ルールができて鬼ごっこが再開されました。


~考察~

が知っているだろう既存の決められた一律のルールで、このメンバーで鬼ごっこをしていたら、どうなったでしょうか?もしかすると、同じ人ばかりが鬼になったり、その人が嫌な気持ちになってしまったり。また、C児がタッチされて泣いているところに、もし僕が「鬼になったくらいて泣いてどうするん⁉︎頑張りや‼︎」と言っていたら‥どうなったことでしょうか。F児とA児の機転のきいた、共感性に富んだ言葉の差し替えと、柔軟なルールの変更があったからこそ、C児は再びフィールドに戻って鬼ごっこを楽しめていたように思います。

決められたルールの中で遊ぶ楽しさはもちろんあります。しかし、その時々でメンバーや環境が違う場合、そこで“最適解”を考え遊びを楽しむ力が子どもたちにはあります。それの1つの手段が今回は特別ルールでした。

子どもたちは、自分たちの目的(遊びを楽しむ)を明確にもっています。そして目的のためには手段を選びません。言い換えるなら目的のために手段を考えます。これが、もし僕が手段(決められたルール)を徹底してしまっていたら⁉︎目的は果たせていなかったでしょう。

ちなみに、幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿(保育所保育指針 幼稚園教育要領 幼保連携型認定こども園教育要領で示されている)の、ここでは、[規範意識]に焦点を当てても考察してみます。規範意識とは、道徳や倫理、ルールを守ると言った意味がありますが、ここで僕は気をつけなればならない点があると最近特に思います。

それは、道徳や倫理など、国や宗教、民族、文化などが違えば当然違ってくる価値観であることを、人間は必ず理解しておかなければならないことです。

理解しているならば、今回の鬼ごっこのメンバーのように、メンバー全員が目的を果たせるよう特別ルールなども設けたり柔軟に対応することができます。しかし、理解していなければ、固定の価値観を押し付け、もしくは個人の正義を振りかざし、トラブルを巻き起こし兼ねない。

“規範意識”を学ぶには、大人は子どもから学ぶのが1番手っ取り早いのではなかろうかとさえ思ってしまう今日の鬼ごっこの場面でした。子どもたちは、反射的に“規範意識”を柔軟に捉えて遊びます。 


終わり




このように、遊びの背景を捉えて考察していくことで、僕自身、保育者自身の子どもの見え方が変わり学ぶ良い機会と思い保育研究記録に取り組んでいます。“にじフェス”の際もお楽しみ下さい。

2019-09-30
【優先順位】を明確に

マーチングバンドの中高生岡山県大会に行ってきました村上です。音楽に心が熱く揺さぶられて感激して鳥肌が立ちました。学生たちの青春パワーに感謝です。


さて、昨日紹介しました東京都千代田区立麹町中学校工藤勇一先生の本の中で、子育てに関わる人にとって参考になる内容がありましたのでまたご紹介させて頂きます。

保育 幼児教育を担う私たち保育者、また家庭での子育てを担う保護者の方にとって、「どこまで厳しく叱ればよいか?」という悩みは一度はもったことがあるのではないでしょうか。そのような時に工藤先生が意識することは【優先順位】です。叱る基準の【優先順位】を決めておけば、叱る頻度が減り、子どもはもちろん大人も不要なエネルギーを使ってストレスを抱えなくてすみます。

そして、叱る前には「これは何を“目的”として子どもを叱ろうとしているんだっけ⁉︎」と一度冷静に考えてみることが大事なのではないでしょうか。


実際に、僕も保育の現場で叱る場面は多々ありました。怒鳴ったことも多々ありました。しかし、連日、細かなことで同じように叱ってしまうと、子どもたちは本当は何が大事なのか区別がつかなくなっていたのではと反省しています。


3年前ほどより、“見守る保育”に出会い、子どもたちを「どのように見て、どのように守るかを自問自答しながら保育する」ことで、命に関わる危険なことや人権的に反すること以外は、怒鳴ったり叱る言葉が格段に減ったと自分でも思います。【優先順位】が間違いなく子どもの発達を知ろうとする視点に変わったことが理由の1つに挙げられます。


2019-09-29
“理想の線”の断捨離

『世界一幸せな保育園を作る』ことが夢の1つである村上です。9月もそろそろ終わりますね。

親だけに限らず大人たちは、子どもに対して世の中を幸せに生きて欲しいと願うのは常だと思います。

そこで、大人たちが子どもに対して願う“幸せ”の正体について、東京都千代田区立麹町中学校校長 工藤勇一先生の著書「麹町中学校の型破り校長 非常識な教え」という本から学んでみたいと思います。

大人たちが「幸せだ」逆に「不幸だ」と感じる時、実はそこには比較対象があるということ。大人の頭の中に“理想の線”が引いてあって、その基準に満たないと自分を憂いたり、環境を批判したりするということ。

では、その“理想の線”とは?年収や学歴、世間体や外見、承認欲求に友だちの数など‥たくさん持てば持つほど不幸やストレスを感じやすくなります。だから、大人が幸せになる方法としては、“理想の線”を断捨離をするだけ。

大人が“理想の線”を断捨離することで、子どもの中での“理想の線”を減らすことができるかもしれません。すると子どもたちが「幸せ」と感じることがとても簡単にたくさんできるのではないでしょうか。


この本には、東京のど真ん中で「常識」をひっくり返した、宿題の廃止、定期テストの廃止、担任制の廃止などなどの学校改革をした工藤先生の、これからを生き抜く子どもを育む僕たちへのメッセージが熱く記されています。世の中の「当たり前」に対し【問い】を真っ向から持って動かれた方でもあり、保育 幼児教育を司る僕にも胸に突き刺さる内容でしたので少しずつ紹介していきたいと思います。

常識をひっくり返す一冊
2019-09-28
“にじフェス”情報解禁

こんばんは。「ブログ見てます~」と言う声を聞くと余計と張り切ってしまう承認欲求が強めの村上です。誰かに自分が好きで取り組んでいることや、没頭していることを認めてもらうと、人は間違いなく成長します。なので僕も絶賛成長期です。


さて、10月5日(土)に開催されます“にじフェス”「そらまでとどけ! ひかりかがやく にじいろフェスティバル」の情報が解禁されてきましたのでお伝えしていこうと思います。


と、その前に、そもそもトミホ(富岡保育園)では、世間一般では当たり前にある“運動会”や“発表会”といった行事を昨年度より廃止しました。だからと言って、園内で運動遊びや表現遊びが無くなる訳ではありません。無くなったのは、“運動会”や“発表会”といった大人が決めた行事と、その行事に対して行われる練習の時間です。なぜ、“運動会”や“発表会”といった「達成感」や「満足感」が得られそうな行事を廃止したのか⁉︎

この疑問には、このような【問い】もできないでしょうか?

「達成感や満足感が最上位の目的ならば、その目的を果たすために、日々の遊びを犠牲にしてまで大人が決めた“運動会”や“発表会”を行う必要性があるのか?」

この【問い】に対しては、多くの意見が飛び交うと予想されますし、意見が出なくてはいけないと思っています。僕たちが幼少期や学生時代に“当たり前”と思っていたことに対して【問い】を持つことから、トミホ(富岡保育園)は保育リノベーションをする際に始めました。


話は少し逸れましたが、“にじフェス”は、0歳~120歳まで誰でも参加が出来るイベントの様です。持ち物も不要で、楽しむ気持ちだけ忘れないようにとプログラムに明記されていました。

ちなみに、“にじフェス”に関して子どもたちは練習していませんし、職員も予行演習など特に行わず軽い打ち合わせが主任先生からあった程度です。「そんな準備で大丈夫なのですか?」と、心配になりますが御安心を。このイベントは、保育者が楽しませてくれるものではなく、参加者全員が「どうやったら楽しめるだろうか」と“当事者意識”を持って考えながら楽しむイベントだからです。

※園児や保護者でなくとも参加できますので、プログラムが欲しい方は園の方へお電話い頂ければと思います。(☎︎0865−62−2487)

新人保育者の手書きプログラム
2019-09-27
『心地よさ』がもたらしてくれる産物

京都大学1日体験から帰ってきた村上です。染まりやすい性格なので気分は京大生になって、保育園では何を研究しようかな⁉︎と自問自答して1日過ごしました。


さて、そら(0.1歳児)グループでは、子どもの発達に応じてミルクを哺乳瓶であげている場面がありました。保育者に抱っこされながら、「よく飲んでるね~」と声をかけてもらいながら、そして微笑みかけてもらいながら。皆さんも想像できる場面だと思います。

実は、このありきたりな場面にも、“科学的根拠”に基づいた「ヒトの発達」に重要な原理が隠されていることにお気づきでしょうか?

ちなみに、このミルクを哺乳瓶で飲んでいた子どもの表情はとても『心地よい』ものでした。この【他者は『心地よさ』をもたらしてくれるという記憶】が→【他者との円滑に関係を築いていくための土台】になるのです。

そして、その土台にを築く為には‥この保育者のように抱っこ(身体内部に生じる『心地よい』感覚)と、「よく飲んでるね~」との声かけや、微笑みかけてもらう(身体外側からの『心地よい』感覚)ことが、同時に行われる必要があるのです。

裏返すなら、抱っこしながらミルクを飲ませていたとしても、微笑みかけていなかったら⁉︎声をかける代わりにスマートフォンを見せていたら⁉︎【他者との円滑に関係を築いていくための土台】が作るチャンスを損失してしまうことになります。


このような“科学的根拠”が示す子育ての概念を、知っているのと、知らないのとでは大きな違いがあります。多様な情報が飛び交う現代だからこそ、正確な情報は“科学的根拠”に基づいて得なければなりません。

『知らないことを知る勇気』を持って、子育てを楽しめたら、大人の発達もできることにお気づきでしょうか?

※『ヒトの発達の謎を解く』−胎児期から人類の未来まで–明和政子 京都大学大学院教育学研究科教授 10月9日発売‼︎ちくま書(本体価格820円+税)ヒトの脳と心が生まれ、発達していくという生命現象を真に理解するための一冊です。

2019-09-26
“科学者の底力”に触れる

1日お疲れ様です。学生の時には入学できなかった京都大学に1日侵入学してきました村上です。なぜ京都大学へ⁉︎今日は京都大学大学院教育学研究科の明和政子先生のおられる明和研究室にお邪魔するためです。

明和先生は、「脳と心の発達」について科学的に研究されておられる方で、まさに乳幼児期の保育、子育てを担う僕たちは必ず学ばなければならないんです。

http://myowa.educ.kyoto-u.ac.jp/

(↑明和研究室に興味がある方はどうぞ)


保育や子育てが決して経験論や感情論だけにならないためにも、科学者たちが解き明かした科学的根拠(原理や本質)を学び実践していかなければなりません。

明和研究室では、あらゆる専門分野の方々を交えて、「脳と心の発達」を研究されていました。教育の専門家だけでは、まずこのような科学的根拠まで辿りつけないんだと思います。

そして、僕のような現場での試行錯誤の内容について、丁寧に科学的根拠に基づいてお答えして下さる明和政子先生と、研究チームの方々でした。それは、常に『疑う』思考から本質を解き明かそうとする“科学者の底力”ではないかと感じました。


約2時間ほどテーブルを囲んで熱い学び合いをさせて頂きましたので、詳細については今後ブログ読者の方にも伝えて共有していきたいと思います。


僕のように園から飛び出し『学びたいことを学べる』環境は、仲間(保育者仲間はもちろん保護者の方、園児の皆)のお陰であることは間違いありません。感謝は即行動で示していきたいと思いますので今後もご協力宜しくお願いします。


科学者の底力
2019-09-25
同じ形のロボット人間はつまらない⁉︎

こんばんは。お昼に岡山政経塾の先生と野菜ソムリエの方が作られるランチを頂きました村上です。五穀米ならぬ七穀米もあり、どのお菜もそれぞれに“違う”食材や味付けしたが、どのお菜の邪魔をすることやく調和がとれていたように思います。


先日の『“いじめ”をコントロールする』というブログ記事をほとんどそのままトミホ(富岡保育園)が属する笠岡市の学校教育課いじめ支援員の先生に投稿しました。すると、直ぐに丁寧で実直な返事を頂きました。またその中身には笠岡市の教育に対しての熱い想いと覚悟にも似たような印象を受けました。本来なら笠岡市の教職員限定なのですが、教職員に限らず、このブログの読者が“今”を生きる、そして次世代へ希望を繋ぐ同士の方だと信じておりますので是非とも紹介させて下さい。

 

以下

 私は「いじめ」をなくすのではなく、コントロールするという考え方に心を揺さぶられました。このご意見にもあるように「いじめ」は本来人間(ヒト)が持つ本能で「なくならない」ということをよく耳にします。だからコントロールするということなのでしょうか。また「違う」感覚を大切にする教育は、私も同様の考えを持っています。揃っていることが美しいと言われていた時代、それに疑問を持ち体育会の全校マスゲームで「自分の好きなTシャツを着てやろう」と提案しました。体育会当日、一枚として同じTシャツはなく、子どもたちは自分のTシャツを誇らしげに、友だちのTシャツを興味深そうに見つめていました。お揃いの体操服から始められていますが、日々の生活の中であらゆる角度から「違い」を認め合える実践は可能です。「いじめ」をコントロールする心を養う一つの方法として、有効な手段はたくさんあると思います。

 約1年前掲載した樹木希林さんの言葉です。「ひとりひとり違って生まれる 当然差別がある いじめは違いから起こる 私も人をいじめたし いじめられたし それをなくそうなって ねぇ 果てしのない道のりです」「じゃあさ 皆で 同じ形のロボット人間に それじゃ つまりませんねぇ」

 違うことで排除するのではなく、子どもたちがお互いの個性を認め合う人に育ってくれたら、人(ヒト)は本来のホモ・サピエンス(知恵のある人)の道を歩んでいけるということなのでしょうか。

 小難しい事を言いましたが、ヒトがヒトとして生きるために、教育が果たす役割は「大」だと考えます。


いじめ対策支援員の方に限らず、学校や保育園の先生だけに限らず、“今”を生きる全ての人で向き合いたい、そして向き合えるように発信していくことも僕は努めと感じています。

2019-09-24
“とりあえず”から始まる『学び』

岡山県総社市「おーいし堂」のソフトクリームを食べました食欲の秋を満喫する村上です。休日は、“とりあえず”行ったことがないお店に行ったり、やったことがない体験をしたりするよう努めています。つい、年齢や経験を重ねるごとに、いつもと同じお店や、いつもと同じ体験をするようになってしまっているので意識的に“とりあえず”という感覚でいるようにしています。


先日、古道具屋で「測り」を頂いたので、園庭の砂場近くに置いてみました。さっそく見つけた子どもが“とりあえず”玩具を置いていました。そして、玩具を重ねたり、砂を盛ったり。また、手で体重をかけてみたり。すると、針が進んだり戻ったりするのを見て、自分で決めた数字(今回は「5」を目指していたようです)めがけて、玩具などのバランスを慎重に保ちながら、どんどん「測り」に積んでいきます。この子どもは、もちろん説明書を読んだわけでもなく“とりあえず”遊びはじめてみたんだと思います。玩具のバランスを保ちながら「数字」や「重量」の本質を『学び』とったかもしれません。

だとするなら、『学び』は“とりあえず”から始まるのでしょうか。

“遊び”は“学び”
2019-09-23
【道徳】とは⁉︎ 続編

休日にスターバックスで読書の秋にふけっております村上です。本日は先日紹介させて頂きました苫野一徳さんの「ほんとうの道徳」という本を読み進めていきました。


さしずめ、【道徳】とは⁉︎ある時代、ある共同体(国や地域や学校など)に限定された“習俗の価値”にすぎない。時代や文化を超えた絶対に普遍的な道徳などなく。道徳とは絶対に正しい価値観ではない。

と、まずは結論が述べられておりました。“習俗の価値”は、小さな共同体がまとまるためには強力な共通の価値観が必要だったので、とても大事にされていました。しかし、きわめて多様な人々からなる現代の社会において、家庭環境や文化的背景も様々であるにも関わらず、“習俗の価値”を押し付けてしまったら?異なる価値観との対立が起こるのではないでしょうか。

そこで人類が見つけ出した知恵こそが『自由の相互承認』なのです。『自由の相互承認』について、苫野一徳さんが小学生から僕にまで分かる説明をしていましたので、少し長いですがご紹介させて頂きます。


~社会には本当に色んな人がいる。お金持ちもいれば、貧しい人もいる。幸せな家庭で育った人もいれば、そうじゃない人もいる。会社に勤めている人もいれば、職人さんもいれば先生だっている。病気で働けない人もある。障害のある人もいる。日本人もいれば外国人もいる。仏教を信じている人もいれば、キリスト教を信じている人もいる。宗教を信じていない人もいる。

だから、みんなそれぞれ違った考えを持っている。そしてそのために、お互いがケンカになってしまうことがある‥下手をするとそのケンカは暴力や殺し合いにまで発展してしまうかもしれない。実際、人類はそうやって戦争を続けてきた‥じゃあ、そんな色んな考えを持った人たちが、共に生きていくためにはどうすればいいんだろうか?

それは、お互いがお互いに、ののしり合うのではなくてまず認め合うこと。障害があろうがなかろうが、宗教が違おうが、お金持ちだろうがそうじゃなかろうが、まずは同じ人間として認め合うこと。そしてそれを、社会のルールとすること。

まずは認め合う。それが、市民道徳と言われるものの一番大事なポイントなのだ。そしてその上で、調整し合う。まずは認め合うけど、共に生きていく中でどうしても認められないことだってある。だからそのことについては、暴力に頼ることなく、お互いに調整し合うのだ~


当たり前のようで、僕自身自覚できていなかった『自由の相互承認』。改めて、幼児教育を含めた教育の鍵になるのでは⁉︎と考えるとともに、では、『自由の相互承認』を原理とした社会を、僕たちはどうすれば作っていくことが出来るのでしょうか?

多様な平和へと向かう今の時代に生きる僕たちの使命なのでは⁉︎皆で一緒に考えていきましょう。

2019-09-22
“仮説”と“検証”

隣町の人気パン屋で「シミクロワッサン」たる魅力がありそうなパンが限定的に販売されるということで、行列が出来ると仮説を立てて、いざ意気揚々と営業時間前に並んでみた村上です。検証結果は、朝早いからなのか、それとも限定販売に購入者が慣れているのか営業時間に入ってからお客さんは続々と来店する様子でした。


さて、土曜日の午後からはトミホ(富岡保育園)では職員会議が行われます。日々の保育実践での疑問や課題を、年齢児別のクラス問わず話し合います。そして、来月(10月5日)に控えた“虹フェス”(1年に1度開催されるフェスティバル※昨年度はスマイルフェスティバルでした)についても話し合いが進んでいます。

そんな最中に、今日は村上より1つの議案をテーマに入れてもらいました。

『職員同士で名前を呼び合う際に“ファーストネーム”で呼び合えないだろうか』

なぜ虹フェスというイベントを控えながらも、このような議案を持ちかけたかと言いますと。見守る保育を保育実践していくうちに、先生と子どもの関係性が、今までの先生主体の活動から子ども主体の関係性に移行して以降、縦(上下)の関係性でなくなったこと。それは、大人と子どもという関係性よりも、1人の「人」と「人」として尊重し合う姿なのかもしれません。そして、そうであると“仮説”を立てたとして、職員同士が“ファーストネーム”で呼び合うことにより、「先生」という肩書きを前に、1人の「人」と「人」とを認め合う姿を子どもたちに見せられたとしたら⁉︎と、いう“仮説”を立ててみました。


今日の職員会議では、この議案に対して様々な意見が飛び交う中、「園長先生なども含めて、9月中ファーストネームで呼び合うチャレンジをする」という納得解が導き出されました。このチャレンジが子どもたちにとってどのような作用があったか。また、大人と子ども、大人と大人の関係性に何か作用が表れたかを、“検証”していきたいと思います。


“仮説”と“検証”の繰り返しで、人類は進化と存続の道を辿ってきました。

昨日、夕方前に雨が降ってきた際に、ひかり(2歳児)グループの子どもたちが縁側に出てきて、「雨だ!雨!食べてみよ!」「雨獲ってみよ!」などなど口々にしながら縁側から手を伸ばし雨を触ろうとしていました。「雨は食べれるのだろうか」と“仮説”を立てて、実際に手を伸ばして触り“検証”する姿こそ、人類の進化と存続を支えてきたDNAの象徴だったのでは。

人類の象徴
2019-09-21
【道徳】とは⁉︎

こんばんは。久しぶりに氷鬼ごっこで鬼になった村上です。今日は近隣の小学校で、小学1年生と就学前の子どもたち(エジソン 5歳児)との交流会でした。1年生の担任の先生の主導のもと、何種類かの鬼ごっこを活動として行い、その中には、整列をして並んだりする活動も含まれていました。トミホ(富岡保育園)の子どもたちは、普段整列をして並ぶ練習や、先生主導のルールのある遊びをすることはありませんが、1年生の姿を見て学び(学びの語源は真似です)ながら、担任の先生主導の活動をこなすことができていました。


 さて、そんな小学校では2018年度から、中学校では2019年度から「特別の教科【道徳】」の全面実施が始まりました。今までは、「道徳の時間」と呼ばれていたものが、正式な教科になったわけです。

と、言うことは‥検定教科書が使われ、「評価」されるということにもなります。【道徳】に評価の基準があるのか⁉︎価値観の押し付けにならないのか⁉︎様々な疑問が湧いてきませんか???


苫野一徳さん(熊本大学教育学部准教授 哲学者 教育者)が書かれた「ほんとうの道徳」を読み進めて【道徳】とは!?に迫っていきたいと思います。


【道徳】って何なのか?もちろん幼児教育の中でも、「乳幼児期に育てたい10の姿」の中にも【道徳】が含まれています。【道徳】が何なのかわからず、「道徳心を持ちなさい‼︎」と子どもたちに声をかける訳にはいきません。


そんなことを考えながら、今日は交流会の帰りに、トミホ(富岡保育園)からは遠い公園(通称タコ公園)に歩いて寄りました。トミホ(富岡保育園)には園庭に滑り台やブランコなどの遊具はありませんが、タコ公園には沢山の遊具があります。子どもたちは、その場で自分たちでルールを作っては変えて遊ぶ姿が見られました。途中転んでしまった子どもも友達に救出してもらったようです。

子ども集団の強み
2019-09-20
可視化されたドキュメンテーション

こんばんは。外国に行ったことがないにもかかわらず外国に憧れている村上です。園のある市内(笠岡市)に在住の韓国人の方とお喋りする機会がありまして、トミホ(富岡保育園)へ遊びに来て頂けるようお願いしました。グローバル社会とは、何も英語を話せれば良い訳ではなく、英語圏以外の国の方と混ざり合う社会であることです。


さて、午前中は消防署見学へ子どもたちと参加してきました。今年度は虹(3.4.5歳児)グループ対象で、60名ほどの人数を4回に分けて実施することになりました。少人数での見学ですので、普段見られないであろう、消防士の方が使われる仮眠室やお風呂場なども見せて頂き、より消防士の方の生態がリアルに感じられたのではないかと思います。もちろん救急車や各種の消防車などを事細かく間近で体験することができ、参加した子どもや職員も、普段見せないリアクションをとっていました。


そんな姿を、保護者の方に伝える手段として、“可視化されたドキュメンテーション”を方法の1つとしています。なるべく早くその日のうちに「体験」を可視化することで、子どもにとっても大人にとっても「体験」が「経験」となり「学び」になります。言葉だけでは伝わらないことを玄関口の壁新聞で扱う写真などを通して伝えることにより保育実践について保護者の方にも理解と評価をして頂けるよう努めております。その日あった出来事を通して、親子での会話が弾めば嬉しいです。

今日の壁新聞
2019-09-19
少子高齢化時代の鍵

103歳の敬老の方にエネルギーを頂きました33歳の村上です。「104歳になるまでにまたおいでよ」と仰って下さいました。

その場面があったのも、今日は、園よりタクシーで15分程の場所にあります高齢者の施設での敬老会に参加させて頂いたからです。

子どもたちを見るなり「可愛い~‼︎」と言って下さり、子どもたちも喜び、敬老の方と歌を歌ったり握手をしたり戯れる様子がありました。


現在日本の100歳以上の方は7万1238人です。(2019年9月15日時点)ちなみに、1963年の頃は153人でした。(56年で465倍以上の増加傾向です。)

日本社会において“少子高齢化”は避けては通れない道だと思います。

そんな時代にあって、高齢者と乳幼児の関わりは『少子高齢化時代の鍵』になると考えます。乳幼児期より、車椅子などを扱う方たちを含めマイノリティー(社会的少数派)の人たちとの関わりを持つことで、自分との“違い”がある人が世の中にはたくさんいて当たり前である認識を持てること。これは、間違いなくグローバル社会へのフィットにも繋がります、現代に蔓延る「いじめ」や「不登校」などの問題の解決の糸口にもなるはずです。


トミホ(富岡保育園)では、今後いっそう、年齢や性別や職域など、社会的境界線を取り払い、色々な人や価値観に触れる“暮らし”ができるよう仕掛けを考えていきたいと思います。是非このブログを見て下さっている方もご協力宜しくお願いします。

2019-09-18
“将来”を案ずるよりも

占い好きの村上です。ちなみに動物占いでは「楽天的な虎」でした。相性の良い動物の方は仲良くなりましょう。


さて、昨日見学に行かせて頂いた、デモクラティックスクール『まっくろくろすけ』の創設者である黒田さんから、僕を含む保育者や保護者の方へ、子育てのヒントとなる言葉を頂きましたのでご紹介させて下さい。

『まっくろくろすけ』に通う子どもたちに親子や先生たちとの間でのストレスはあるかと尋ねると、たいてい‥「“将来”どうするの?“今”のままでは“将来”が不安だわ」と聞かされる時だと教えてくれます。絵に少し興味を持って描いてみただけなのに‥「絵が好きなのね。将来はイラストレーターになるの?」と言われたり、何でもする事なす事、全て“将来”に繋げられてストレスだと。子どもたちが、親や保育者、教育者に求めていることは“将来”のことではなく、“今”を応援してくれること。子どもが1人の人としての人格を認められた上で、何でも意見を言えるような環境を作って欲しい。


と、黒田さんは静かな口調でありますが熱くお伝え下さいました。確かに、「“将来”のために」「“将来”の夢のために」頑張ることが美徳である考えも一理あるかと思います。しかし、“今”を犠牲にすることを子どもたちは望んでいないのではないでしょうか?


どうなるかわからない“将来”を案ずることは、どうなるかわからない“占い”の結果に案じてしまうことと同じかもしれません。そんな“将来”よりも、子どもたちが応援して欲しいと願っているのは“今”なのではないでしょうか?


お昼ご飯時に2人の子どもが、せっせとフウセンカズラを取って、鍋に入れて遊んでいました。この2人は“将来”のためにフウセンカズラを取って遊んでいるのでしょうか⁉︎近くに保育者がいたのですが、もしかすると本当は「お昼ご飯早く食べようよ」と思っていたのかもしれませんが、2人が遊び終わるまで遠くから見守っていました。2人の“今”を応援していたんだと思います。


“今”を応援してもらう2人
2019-09-17
自由を最大限に保障するため

会議で自分の意見を言う時に緊張してしまう村上です。学生の頃は、「早く終わらないかな~」と、自分の意見など考えることもしていませんでした。


さて今日は、友人(岡山県にオルタナティブスクールを作ろうと画策中)と一緒に、兵庫県神崎郡市川町にあるデモクラティック(民主主義)スクールの『まっくろくろすけ』にお邪魔してきました。


4歳~19歳程度の人たちが学び合う場(今日は7歳~16歳の人たちが20名程度でした)でありました。チャイムや時間割などは無く限りなく自由が保障された空間でした。


しかし、集団の中で自由が保障されるためには、メンバーたちで決められたルールがたくさん存在します。デモクラティックスクールとしてのルールとしては、必ず話し合いで決めることがあり、大人も関係なく、現在の『まっくろくろすけ』にいるメンバー全員に発言権があり、1日のうちに大なり小なりのミーティングが何度か設けられます。自分たちで議題を出して、それに対して自分の意見を言う様は、僕自身衝撃的でもあり、大人顔負けの生産的意見の交換でした。


大人や子ども、年齢や性別などの区別なく、誰もが自分の意見を言ったり、通す、権利があり、それでいて、他者の意見をも聞き、通すことのできる関係性が存在するからこそ、最大限の自由が保障されている空間でもありました。


個人的には、1つの国を皆で治めていく姿に近い印象を受けました。既存の学校と比べると社会との距離がグッと近いころにあると感じられました。以前紹介した世界7大教育の1つに挙げられています、“サドベリー教育”でもあります。

※サドベリー教育の詳細については後日紹介させて頂きます。


幼児教育に携わる1人として、「自由を最大限に保障するため」のヒントが、何度かメンバー達で行われていた“ミーティング”の中にたくさんあった様に感じました。

自由への扉『まっくろくろすけ』
2019-09-16
“安心”して働ける仕事場

毎日やりたいことを好きなようにさせて頂いているお陰であまり“休日”という概念がない村上です。皆さま充実した連休をお過ごしでしょうか⁉︎僕は今年度より園内に新設されましたラボ(研究所)をお洒落にする為に古道具屋を巡っております。

※ラボ(研究所)にも是非遊びに来て下さい。


ちなみに、“休日”という概念は日本では江戸時代までは無く、明治時代以降の資本主義社会への足がかりとして存在したようです。人類の歴史から見ても、狩猟民族だった頃の先人には“休日”という概念は無かったであろうし、農耕民族となった頃も、決められた“休日”ではなく、自分で決めて“休日”を作っていたんだと思います。産業革命後、工業社会へ進む際に労働者の権利や効率化などを含めて、決められた“休日”が作られたのではないのだろうかと予想します。「働き方改革」が謳われている現在、人類の歴史から何か良いヒントがないか学ぶ必要があるなと考えております。


「働き方改革」をトミホ(富岡保育園)でもアップデードできるよう新たな仕掛けを考えてみました。今年度より、全職員を対象に「自分の家族や友人を園に招待する」ことをミッションの1つとしています。家族や友人から見ても『安心して働ける仕事場』でありたいという想いからです。

ラボ(研究所)
2019-09-15
暮らしの中での「見守る」

さきほど銭湯で祖父の背中を流しました村上です。敬老の日(今年は9月16日でしょうか)が近くなり、新幹線でひとっ飛びして元気な姿をアピールしてまいりました。


「見守る」保育をトミホ(富岡保育園)では実践しているのですが、よくこんな質問があります。

「“見守る”って、ただほっといているだけなのでは?」

「見守るって、どのように“見守る”のですか?」


そのような時には、たいてい‥

「どのように“見て”どのように“守る”か、日々試行錯誤しながら保育(暮らし)をすることです」

と、答えます。


僕の祖父は80を過ぎており足が少し不自由でもあります。しかしプライドは高く、自分で出来ることをされることを嫌います。

そんな祖父との銭湯の時間は、祖父に気付かれぬ様、行動や言動を“見ながら”、杖をつきながら歩く足が滑らないか安全を“守りながら”、『やってほしいサイン』が出たら、手助けをしながら「いい湯だな~」と気持ち良さに共感して入る時間なのです。


これって、トミホ(富岡保育園)での保育(暮らし)と似てる⁉︎と、思っちゃいました。子ども、大人、年齢関係なく、人と人との関わりにおいて、「見守る」は重要であり当たり前にあることなのだと思いました。


そして、「見守る」は一朝一夕に出来ることでなく、一緒に暮らしていく中で、相手への尊敬と感謝の気持ちが持てた上で、『やってほしいサイン』に気づけるか⁉︎なのかもしれません。

2019-09-14
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