富岡保育園へようこそ!「伸びる。成る。子どもも大人も互いに伸び合い、成長し合う『大きな家』でありたいと願い、社会福祉を支えています。

富岡保育園

副園長ブログ

ずっと、何度も

誰にも邪魔されずに

花壇を走る蟻に目を注ぐ

ひとりの時間


誰にも邪魔されずに

ジョウロで水を注ぐ

ひとりの時間


時を忘れるように

目を注ぐ

時を重ねるように

水を注ぐ


キミの時間を

僕は邪魔はしたくない

けど離れがたく

心を奪われる


9月3日木曜日の午前10時。気温は35度に迫る暑さのなか。園庭には太陽の光が差し込みながら、ゆったりした時間が流れている。

友だち同士で賑やかに興ずる者。ただただ笑顔と笑い声が眩しくある。

そんな中、花壇の中を走る蟻に目を注ぐ1人の男の子。時を忘れるように、ずっと見てるんだ。蟻が冒険してるかのごとく、キミも一緒に花壇の中を冒険してるんだろうか。

そんな中、園庭に並べられたビールケースを裸足でつたう1人の男の子。片手にジョロウを持ち、ビールケースに挟まったカップに水を注ぐ。注ぎ終わったら、Uターンして水を汲みに行く。そしてまた水を注ぐ。汲みに行く。水を注ぐ。何度もだよ。

ずっと
何度も
2020-09-03
感謝し合える“ほぐれ具合”

皆さま1日お疲れ様です。昨晩整骨院にて心身をほぐして頂き絶好調の村上です。整骨院の先生が施術をしながら、身の上話を自ら打ち明けられはじめたんですね。すると、なんだか自分まで身の上話を始めちゃって。心地良さを感じちゃいました。


さて、本日は「るんるんランチ」開催日でした。園長・副園長・事務長が、現場クルーをゲストに迎えておもてなしをするお昼ご飯です。

絵本“あらしのよるに”の写しをランチョンマットに、中庭から生花、ウエルカムボード、デザートは地域の洋菓子屋から、飲み物はコーヒー専門店から。

日々の丁寧な保育実践への慰労も兼ねていたりするのですが、実は、おもてなしするのが楽しんですね。互いに、ほぐれて身の上話をし合うことで、「一緒に暮らせてるな~。」と安心して感謝し合えるんですね。


ただ、1つだけ誤解のないように。人間関係、【感謝し合える“ほぐれ具合”】ってのが、あるんだと思いんです。

ほぐれ過ぎてもない、張り詰め過ぎてもない、適度な“ほぐれ具合”。もちろん職場関係だけではなく、家族や親戚、友人、大人だけでなく子ども同士でも言えることなんじゃないかなと思います。


※人間関係の“ほぐれ具合”の調整にお悩みの方。是非とみほ村(富岡保育園)へお立ち寄り頂けると幸いです。たくさんの笑顔と感謝を巡らせ癒されて下されればと願います。お問い合わせはホームページTOPへ。

るんるんランチ
2020-09-02
『ななめ』の関係性

おはようございます。1ヶ月ぶりに園の玄関前の横断歩道にて、交通安全&挨拶運動おじさんをさせていただきました村上です。自転車通学の高校生ともすれ違いざまに挨拶ができ顔見知りになれたりもします。


さて、村上は水やりおじさんだったり、横断歩道おじさんだったり、園児にとっては、「先生」という認識はないでしょう。それがハッキリするのは、目の前でのトラブルの場面だったりで。村上の目の前で「先生に言うけんよー!」って。

村上心の声(僕もいちよう先生なんだけどな~苦笑)


「先生」や「親」が子どもたちと「縦」や「横」の関係だとするなら、村上は子どもにとって『ななめ』の関係性と言ってもらって良いです。「先生」でもなく「親」でもない『ななめ』の村上の需要があるんです。それは、「先生」にも「親」にも言えないことや、やってもらえないことです。


そして実は村上以外にも子どもにとって『ななめ』の関係性の方がおられるんです。園のご近所のおじいちゃんです。定期的に園に顔を出してくださり、一緒に遊んで下さったり、抱っこして下さったり。時には先生たちには内緒で、子どもたちに折り紙をプレゼントして下さったり。


ブログ読者の方が幼少期の頃、近所のおじいちゃんから飴とかもらったりしたことはありませんか?現代社会はご近所付き合いも乏しかったり、気軽に声をかけたりすることが難しい風潮もあったりします。日本社会から『ななめ』の関係性が消えつつあります。


とみほ村(富岡保育園)では、『ななめ』の関係性を大歓迎しております。親や先生だけでは“見守る子育て”に限界があるのは皆さまもお分かりなのでは。社会全体で、未来へ希望を繋がるためにご協力下さい。岡山県笠岡市富岡605までお越し下さい。ちなみに、『ななめ』の関係性筆頭のご近所のおじいちゃんは、園児に大人気です。

キミも人気者になれるチャンス‼︎

おじいちゃんと一緒
2020-09-01
水やりおじさん保育技術伝授

皆さま1日お疲れ様です。園児たちからは先生という存在では無く“水やりおじさん”と認識されております村上です。

(夕方の時間に子どもたちと会うと「今日は水やりせんのん?」てたいてい聞かれます。役割が頂けていることに感謝です。)


さて、とみほ村(富岡保育園)の夕方時間はお迎えの時間にもあたります。とみほ村では、「連絡帳」がありませんので、保育者が今日あった出来事を保護者へ必ず伝達しなければいけません。

と、いうことは必然的にコミュニケーションが生まれるんですね。今の季節ですと、とりあえず「おかえりなさい~。おつかれさまです。暑いですよね~ホント毎日~。」という会話から始まるのですが。実はココに超絶重要ポイントが含まれているんです。教科書に掲載されていない保育技術です。



保護者の方って、帰宅して誰かに「おかえりなさい」って“迎え入れて”もらえることってあると思いますか?帰宅して誰かに「お仕事おつかれさまです。」って“労って”もらえることってあると思いますか?この“迎え入れ”と“労い”が、保護者の方との信頼関係を作っているんです。

心が“迎え入れられ”“そして“労らわれる”ことで、気持ちが溶けていく、居心地の良さがあるんです。


本日のお迎えの時間も、気持ちが溶けて、たくさんの語る声が聞こえておりました。とみほ村の暮らしになくてはならない時間です。

※おまけ‥お迎えの時間になると、友だちの保護者の時でも玄関へ出て、保育者と一緒にお出迎えする子どもたちが、ぎょーさん(たくさん)いるんです。大事な伝達のお邪魔になりかねないくらい。だけども、我が子でない子どものお出迎え、実は保護者の方は結構嬉しそうなんですよね。少し強面のお父さんでも「〇〇君のお父さんじゃろ~‼︎」と言われちゃうと、「あたり~‼︎」て顔が緩んじゃう。子どもたちの社会性を広げていく大切な場面なのかもしれません。


真心をもって、みまもる
信じて、みまもる
2020-08-31
『暮らしの空間』をどのようにデザインするか?

皆さま1日お疲れ様です。本日ご厚意にして頂いておりますcaféのオーナー様がご紹介して下さった本屋に行きました村上です。(※お名前は控えさせて頂きます。)


実は、本やCDを買う目的と、もう1つある目的を持ってお邪魔してきました。それは『空間』を学ぶためです。

「“異空間”で時が止まる様に癒されるよ。」と紹介して頂いた時に聞いていたのですが‥まさにその通りでした。

細い路地裏を入っていき、看板も気づかないほど小さく馴染んでる。玄関をくぐると、ドライフラワーや装飾品が至る所にさりげなく店内に飾っていたのですが、注目すべき点は、店内の色味と流れる音楽が“静かで穏やかな”雰囲気で統一されていたことです。目や耳から入る環境情報に僕は完全にのまれていました。まさにオーナー様の思惑通りだったと思います。(ついつい、いつも手に取らない詩集なんかを買っちゃいました。)


とみほ村(富岡保育園)は『暮らしの空間』です。空間をデザインする際、どのような色味と音が必要なのか⁉︎また不必要なのか⁉︎個性豊かな彩りの子どもたちを真ん中に考えると、なるべく色味も音も“静かで穏やかな”方が良いのかな。


※ブログ読者の方オススメの『空間』がありましたら是非教えて下さい。

2020-08-30
「杖」のような存在でいたい

こんにちは。早朝に友人のお寺さまの「座禅会」に参加してきました村上です。夏の暴飲暴食と乱れた心身を整えたい一心で。


「座禅」素人の僕にとって、心身を調えるに至る前に『呼吸を調える』ことが難関なんです。深く吸って吐いてを繰り返すだけなのですが‥ついつい違うことを考えちゃんです。

そんな時「禅杖」といって、禅をする人の助けとなるように【杖】のような存在として、背中をパシン‼︎としてもらうんです。

すると、また呼吸だけに意識が向かい始めたんです。考えごとは吹き飛び、身体に流れる汗と微かに頬にふれる風を頼りに、ただひたすら吸って吐いてを繰り返せたんです。


生きていくことで、大人も子どもも、みんなそれぞれに、いろんなことがあるんだと思います。

心も体も心地よい時もあれば傷んじゃうこともあるんだと思います。

そんな時、呼吸に意識を向け、じとーっと背中を流れる汗を感じたならば、ただただ生きてるぞ‼︎ってことで、それで良いんじゃないのかな。

そして、そのためには【杖】のような存在が必要なんだと思うんです。


僕たちトミホクルー(富岡保育園職員)は、とみほ村(富岡保育園)に集い行き交う子どもたちや保護者の方、また地域の方の【杖】のような存在でいたいと思っております。アナタが何かを必要とする時に僕たちに出来る範囲で。

僕たちに出来る範囲
2020-08-29
ちゃぶ台‼︎本領発揮‼︎

皆さま1日お疲れ様です。学校帰りに寄ってくれた小学生と園庭の水やりをしておりました村上です。「ただいま〜」「おかえり〜」の関係が続けられるって素敵ですよね。


さて、今日は虹グループ(3.4.5歳児)のお昼ご飯の時間をご紹介させて頂きます。とみほ村の虹グループは「セミバイキング」で、子どもたちが順次、自分のお昼ごはんを取りに行き、食べる場所と人を選びます。イメージしづらい方は、ホテルのバイキング料理の賑やかなバージョンと思って下されば適当かと思います。

虹グループのランチルームの机については“ちゃぶ台”を採用させて頂いております。円卓の座のタイプです。(座で座ることって意外と難しいんです。体幹が整ってなければ姿勢を保つことが難しいんです。「姿勢を正しなさい‼︎」と声をかけることも大事なのかもしれませんが、体幹を鍛えるために凸凹した地面を裸足で駆け回ることも大事かもしれません。)

少し話がそれちゃいましたが、今日は“ちゃぶ台”だからこそ生まれる名場面をお伝えさせて欲しいのです。

5.6人かで食べている“ちゃぶ台”へ、少し遅れて来たAちゃんがいたんですね。仲良しの友だちと食べたかったんでしょう。よそったご飯片手にウロウロしてたんです。

すると、それに気づいたBちゃんが、自分と隣の仲良しの友だちの間を指を刺しながら「ココに座り」と伝えたんですね。

同じ“ちゃぶ台”に座っていた友だちたちは、ちょっとずつちょっとずつ寄りながら、Aちゃんのスペースを空けてあげるんです。


ね。名場面でしょ‼︎村上はこの場面が大好きなんです。“ちゃぶ台”が成せる“思いやりの共有”の時間でした。

(是非、とみほ村でお昼ごはんの時間を過ごしてみたいというアナタ。岡山県笠岡市富岡605までお越し下さい。「太陽の台所」スタッフが愛を込めて作ったお昼ごはんと“ちゃぶ台”を囲む子どもたちがお待ちしております。※お昼ごはん価格要相談)

思いやりの共有
2020-08-28
トミホクルー限定NEWS公開

こんばんは。ガン治療後定期検査へいってきました村上です。プロの保育者となるべく“体調管理”を課題としております。


さて本日は、トミホクルー(富岡保育園全保育者)限定『とみほNEWS』内では日夜どのような発信がなされているのか⁉︎保育者の守秘義務のもと全公開は固く禁じておりますが‥秘密というフレーズを使うと「新興宗教みたいで怪しそう」と言われかねませんので、一昨日の記事を少しだけご紹介しますね。(「全部知りたいですー!」というアナタは‥「トミホクルーになるしかない!」)

#0825 アフターNEWS


【結】

合掌造りがなされている世界遺産、白川郷って皆さま知っておられますか?


残暑厳しいときに、真冬の世界が素敵な地域の話をしてんじゃねーよ村上です。皆さま1日お疲れ様です。



本日のテーマ【結】

これって、突き詰めて考えると、とみほ村で引き継がれている、そして今後ももちろんの【お互い様】なんですね。


【お互い様】ってのを少し噛み砕くと‥


どこかで迷惑をかけ合い

どこかで支え合い

そして生きていけている

それが【お互い様】というものなのかな。


そのコミュニティを支えているのは、人と人の絆



相手の嫌がることはしない

プライバシーも深入りしない



その存在を認め

敬意を払い

ほどよい距離感で関心を示す


何か困っているな?

何か変だな?

と、気づいたら

躊躇わず声をかける

互いに助け合う


誰でもいつかは歳をとるし

誰でもいつかは助けられる人になる



元気なうちは

できる時に

できる範囲で

助ける人になっておく


そこで大事なのが

普段からの

ほどよい距離感での

お付き合いである



なーんて、本日は、「水遊びの危険を考える」防災訓練があったようなのですが‥


「水害」などの災害の時に

消防や自衛隊の公助機能には限界がくる


そんな時、大事なのが

ご近所を通して助け合う


お互いに

近くの人で

助ける


互近助 ごきんじょ


防災も、色んな角度から、まだまだ取り組めるな~と、改めて思っている村上です。



現在、やってみたいと思っていることを、少しだけ言っても良いでしょうか?


例えば‥

富岡保育園周辺のご近所さんは、どんな人が住んでいるのか?ご近所さんMAPなんかを子どもと挨拶がてらに作ってみるなんても楽しそうだな~とか‥



※現在、参考しているの本は‥


防災システム研究所 所長

山村武彦先生

『互近助の力』です。


保育LABOに置いていますので是非ご参考に。


と、いったわけで

【お互い様】を血に巡らせ

とみほ村も結衆していきたいと思います。

こんな感じの内容を、朝昼晩と村上は富岡保育園保育者限定に投稿しています。ご興味ある方は是非→岡山県笠岡市富岡605富岡保育園までお越し下さいね。お待ちしております。一緒に学びましょう。
絶滅危惧種“握手”
2020-08-27
二重にも三重にも何重にも

皆様1日お疲れ様です。さきほど県外の方よりホームページを見たことをキッカケに電話を頂けたことに感謝しております村上です。笠岡市や岡山県だけに限らず、全国の保育・教育・子育て仲間と繋がりたいと願っております。見学やボランティアなど随時受け付けしておりますので、ホームページホーム画面の電話番号へお問い合わせ下さい。(メールも可能です。)


さて、とみほ村(富岡保育園)での「〇歳児は〇〇をする」で‼︎は‼︎ない‼︎年齢の数字にとらわれない保育をするにあたって必須である、トミホクルー(職員)の報連相ツールをご紹介させて頂きたいと思います。

各生活グループのリーダーと主任(又は副主任)が集い、毎日お昼と夕方の2回行います。

その際に、園児の健康状態はもちろん、家庭状況など、かすり傷程度から、園児の誕生日、家庭のお引越しなどの重要情報を取り扱います。また保育中の課題や悩みを共有する時間でもあります。そして主任がミーティングノートに全情報をまとめます。

その後、リーダーが各グループの仲間に伝達を行います。加えて、早番や遅番、また園長・副園長・事務長、栄養士や調理師、全てのクルーが情報共有できるように守秘義務の法律にのっとりながらスマホアプリなどを利用して伝達を行います。


「〇歳児だから〇〇をする」で‼︎は‼︎ない‼︎年齢の数字にとらわれない保育をするには、『全園児について全職員が理解すること』が必須なんです。

だからこそ、二重にも三重にも何重にも、しつこいくらい報連相を交わさなければならないんです。


本日は、とみほ村の暮らしを支えるトミホクルーのチーム保育の裏側をご紹介させて頂きました。

ミーティングin LABO
2020-08-26
自然との“対話”を見守る

皆さま1日お疲れ様です。夕方の水やりを最近の日課としております村上です。植物との対話の時間にアレやコレやと考える訳です。


おもしろい話を聞いたことがあるのですが、ある昆虫を描く画家の遺言が「アリは左の2番目の足から動く」だったそうで。この画家は幼い頃から小さな庭でジーっと虫を観察するのが日課だったそうで。


僕たち大人は子どもを出来るだけ広いところで遊ばせたいと願いますよね。野山や川や海や。しかし“自然”に対する受け止め方って、大人と子どもとでは違いがあるんじゃないかなと思う訳です。

幼い子どもの持つ関心は“自分の動ける範囲”なのではないのかな。目の前の虫や、手が届くところにある木の実、穴の掘れる地面、水たまり、といったものなのかな。


よく園庭の隅っこでジーっとしている子どもを見かけるのですが。その子どもにとっての“自然”なんですね。保育者の僕たちが心がけたいのは、その子どもが“自然”と対話していることに気づいたら、そっとしてあげることなのかな。


※自然との対話後に是非オススメの絵本↓

・かがのとも絵本『たんぽぽ』

・身近な昆虫 自然と出会う『やあ!出会えたね ダンゴムシ』

・かがくのとも絵本『あげは』

・『いきものづくし ものづくし』


2020-08-25
ナラティブツリーって何?

皆さま1日お疲れ様です。実家よりきくのはな菊の花を持ち込んで園庭長に活けて頂きました村上です。さっそく子どもたちと生け花教室が始まっていました。


さて、とみほ村(富岡保育園)内に入りますと、室内の壁に「Narrative Tree」(読み ナラティブツリー 意味 完結しない感じる物語)と題された保育者の手書きの記録が貼り出されています。基本的に、とみほ村(富岡保育園)では、「ただ単に書いて埋めるだけの書類」は致しません‼︎として、記録した保育者の想いが伝わる工夫をしています。園内に貼り出したり、時には保護者の方にランダムに配布させて頂き、相互に保育理解を努めたいとの願いです。


本日は7月に提出された物語の中から1つご紹介させて頂きます。

タイトル『時にはケンカも‥』

日付け 令和2年7月22日(水)

 ふと砂場を見ると‥A君(5歳0ヶ月)が泣いている。近くにいるお友達が「どうしたの?」と聞いても何も言わない。

 A君が泣くのは珍しく、よほど何かあったのかと思った。どこか痛がるようなことも無かったので、しばらく様子を見ていたら、B君(4歳6ヶ月)が「早くこいよー。あれ、何で泣いてる?」と言った。そうするとA君が「一緒に行こうと言っただろ!何で置いて行くんだよー!!」と泣きながら怒っている。B君は「あ‥いや。早く来ないから‥。」

 すると、A君が「だから!一緒に行こうって!!うぅ‥。一緒に行きたかったのに‥。」

 しばらく2人は口ゲンカをしていたが、私(保育者)はA君が泣きながら友達に自分の思いを伝える姿を見たのが初めてだったので何だか嬉しく思った。

 いつもの仲の良い友達。時々ケンカもするけど、このような経験をする事で、今まで以上にA君とB君の友情が深まったのではないかと思う。

 その後、B君が「ごめん。一緒に行こうぜ。」と言って、いつものように虹グループへ帰って行った。

 B君もA君のことが大好きで、A君もB君のことが大好き。2人の口ゲンカの様子を見て微笑ましく思いました。


↑ブログ読者の方はどのように感じられましたか?僕は2人の関係性を理解した上で、信頼して子ども同士の気持ちに心を動かした書き手の保育者の保育実践に感動させて頂きました。

早朝生け花教室
2020-08-24
マザーロボットが保育者の存在価値を変える日がやってくる!?

こんにちは。日曜日も変わらず保育LABOにて読書中の村上です。

本日の獲物は‥精神科医 岡田尊司先生の「ネオサピエンス~回避型人類の登場~」です。「愛着」というキーワードで未来予想をしているのですが、すでに現実に起こっている現象にも焦点が当たっており、ちょっと怖いです。

せっかくなので1つ紹介しますね。僕たち生身⁉︎の虐待事案を抱える保育者にとって代わる“マザーロボット”の存在です。肌の性能に近い乳房からAIによってプログラミングされたように授乳を行います。過保護にならない程度の応答性で世話をし、適度な愛着ホルモン(オキシトシン)の薬を与え育てます。マザーロボットに育てられた子どもたちは‥

※気になる方は、是非手に取ってお読み下さい。保育LABOで貸し出しもしていますよ。


僕たち保育者の未来の存在価値を考える上で参考になるマザーロボットの存在です。

僕たちは理性と感情が上手くコントロールできない生き物です。だからこそ他人を愛し、思いやることもできる。時には傷つき、傷つけてしまうことだってある。それが僕たち人間という生き物なんだと思うんです。でもそこから逃げちゃうと人間でなくなっちゃうのかもしれません。全てを意のままにコントロールできるようになってしまったら‥

2020-08-23
現役バリバリ保育士当時の村上脳内メーカー

近所のおじいちゃん「家にいるとゴロゴロばぁ、してしまうんですよ。保育園入って子どもたちからエネルギーもらってもいいですか先生!」

残暑厳しいなか、おもいきっきり泣いたり笑ったりする子どもたちの声に命の繋がりを感じずにはいられない村上です。


さて、本日は10年ほど前、現役バリバリ保育士時代の村上の脳内をご紹介してみたいと思います。

8月の終わり=水遊びの終わり⁉︎と当時は勘違いしておりましたから、プールなどの水遊びにキリをつけつつ、夏の思い出の絵を描かせようかな~と。そして9月を見越して、9月の壁面構成決めないとな~と。そうだ‼︎敬老会での出し物を考えて子どもたちに練習させないとな~と。あと、10月の運動会の競技内容を具体化させないとな~と。年長児の競技の準備はそろそろさせないと間に合わないな~と。

ゆる~く思い出していますが、当時は毎日鬼気迫るスピード感でギラギラ保育⁉︎をしていた気になっていました。10年前の現役バリバリ保育士村上の脳内は、“目の前の子どもの心の動き”よりも“先を見越した活動計画”ばかりに重きを置いていたようです。加えて活動計画のほとんどが“させること”です。当時の村上の保育士満足度はそれでも非常に高かったです。ぶっちゃけますと‥“させること”に満足度を置いていたからです。子どもたちが村上の計画通りに活動できるように徹底して準備を行い、思い通りに実践できると子どもたち以上に自分の努力に達成感を感じていたんだと思います。計画が思い通りに進まないと、子どもたちを巧みな言葉かけで促したり、導入に子どもたちの興味をそそる内容を工夫して取り入れたりもしていました。


上記の10年前の現役バリバリ保育士村上に今尋ねてみたいですね。「一生懸命頑張ってるけど、君にとって“保育”って何なのかな?」

残暑厳しい今宵。ブログ読者の方にもお尋ねしてみますね。「“保育”って何なのでしょうか?」

2020-08-22
向き合わなきゃいけない事実

本日は寂しいけど向き合わなきゃいけない時が近づいているお話をしますね。

教育者に関わらず「人に対する思いやりや優しさ」って誰もが大事だと思っています。もちろん僕もです。もしも子どもが思いやりや優しさに欠けていたりすると、大事であることを説きますよね。

ただ、「思いやりや優しさ」といった「共感力」が、人類の生存にメリットだけを与える時代が終焉を迎えているんです。

人類は狩猟採取時代から、農耕革命を辿り、他者と「協力する」ことで生き残ってきました。しかし、時代は流れに流れ、人口が爆発的に増え、AIを台頭とするIT革命最中の現代。東京のど真ん中で他人に共感してたら気が滅入っちゃっう。他人と協力しなくてもAIサービスで1人でも何とか生き残れちゃう。そんな時代へと向かっちゃっているんです。

それに加え、人口爆発時代にコロナウイルスが出現したことにより、新しい生活様式が採用されることになりました。いわゆる他人と接触しない環境です。接触しないってことは、協力も共感も必要なくなっちゃうんです。

今の時代が一過性に過ぎないのか⁉︎それとも加速度的に進んでいくのか⁉︎

もしも加速度的に進んでいくのならば、過度に共感力を求める教育は、生きる上で負担になっちゃうかもしれない。集団でいること強要するよりも、1人でいる時間も楽しめる方が気楽に生きれるかもしれない。


かも話を続けてしまいましたが、ブログ読者の方はどのようにお考えなされますか?本日は人間臭い人間を育てる環境や時代が衰退している事実を人間臭い村上からお伝えさせて頂きました。

人間臭い
2020-08-21
岡山県笠岡市頑張ってるんです‼︎

皆さま1日お疲れ様です。平安時代の平均寿命を超えております村上です。(※平安時代の平均寿命は約30歳前後だと推定されています。)


本日は、とみほ村(富岡保育園)が在ります岡山県笠岡市の新型コロナウイルス感染症対策をご紹介したいと思います。安心して子どもを産み育てられるまち笠岡をモットーに子育て応援の施策がなされています。

・保育所 認定こども園保育料免除事業

・保育所 認定こども園副食費免除事業

・給食費免除事業

・ひとり親家庭等応援事業

・障がい者 障がい児等緊急応援事業

・布マスク配布事業

・水道料金の減免

・地元密着きずな商品券事業

・食べて応援 買ってエール事業

詳細は市のホームページを見て頂けると更にご理解できるかと思います。

さて、皆さまから見てご不満な点はあるでしょうか?

笠岡市の施策の決定事項の決定権を持っている方たちが、ほとんどが高齢者前後世代であるのを踏まえて、『公助』としては限界値まで頑張っているな~と、村上個人の見解です。決定権を持っている方たちが、もしも20代、30代、40代と、現役子育てお仕事世代であれば⁉︎

『公助』に過度に期待した暮らしよりも、『自助』に目を向けるコロナ渦は良い機会にもなりました。『自助』を考える上で、1番鍵を握るのは【当事者意識】です。家族、職場、地域、あらゆるコミュニティで、一人一人が【当事者意識】を持つことができるか⁉︎


とみほ村(富岡保育園)においても、村の運営は、村長(園長)だけでなく、トミホクルー(職員)全て、また保護者、地域の方々一人一人が当事者となりながら一緒に物語を紡いでいきたいと思っております。

2020-08-20
『思い通りにいかない体験』が作る『自分をコントロールする経験』

こんにちは。みつを風の書体で園内トイレ内の貼り紙を書かせて頂いております村上です。是非来園される際にトイレにもお立ち寄り下さいね。


さて、昨日のブログ記事の続きとして‥「トラブルへの対策方法は分かったんですが、それでも危険な行動へ繋がる可能性もありますし、就学した際や社会へ出た際に自分をコントロールすることが出来なかったら困ります。なので、出来ればトラブルになる前に止めて欲しいし、トラブルを見つけたら直ぐにやめさせて欲しいです。」とのご意見にお答えさせて頂こうと思います。

まさしく、答えはこのご意見の中にあるのですが、社会の中で『自分をコントロールする力』いわゆるSocial Emotionと言われる社会情動的スキルが大きな鍵を握っています。聞いたことがない用語かもしれませんので、今回は『自制心』と訳してもらっても構いません。

自制心を培うためには⁉︎皆さまどうでしょうか?「我慢させたり、忍耐させる訓練」を思い浮かべでしょうか。ただ大人主導の我慢や忍耐の訓練の積み重ねは、自分をコントロールするのではやく、自分をあきらめることになりかねません。

そこで、「子ども同士のトラブル」の場面が必要となってくるのです。子どもたちはお互いに自分の思いを通そうとします。しかし、トラブルで気持ちが衝突し、お互いに『思い通りにいかない体験』をします。ココがポイントなんです。

『思い通りにいかない体験』から、『自分をコントロールする経験』をすることができます。


ブログ読者の方は人生思い通りにお過ごしでしょうか?大半は⁉︎なかなか『思い通りにいかない体験』の連続かもしれません。

乳幼児期に大人の価値観の中で敷かれたレールの上を、無駄なく効率よくトラブル無く子どもの思い通りにいくように操作しながら過ごしてしまったら⁉︎いかがでしょうか?

2020-08-19
トラブルと安全基地との距離

皆さま1日お疲れ様です。絶賛ギックリ腰の村上です。忘れかけていた頃に何度もやっちゃうんです。


さて、今日は忘れないうちに、先日何人かの保護者の方から質問を受けた内容について、詳しく答えてみたいと思います。

質問の内容は‥「トラブルの時に富岡保育園ではどのように対応するのですか?」です。

過去ブログ記事の中で村上が「トラブルは幼児教育には必要である」との見解を示したことも影響があるのかもしれませんが、説明不足で誤解を招きかねないと思い本日は詳しく解説してみたいと思います。


まず、誤解しないために「負傷や生命の危険が無いこと」を大前提として聞いてください。トラブルを起こしている子ども同士が暴力的解決をしようとするならば必ず気持ちが落ち着くまで距離をとる配慮をします。

では、大前提があることを念頭に子ども同士のトラブルを保育者がどのように関わるか?まずは、当事者であるその子どもの特徴や性格、発達段階やその日の気分を把握していなければなりません。当事者同士で解決できるか⁉︎それとも、他の子どもの介入が必要なのか⁉︎を見極めます。ここで注目して頂きたいのが、“子ども同士”の関わりです。子どもたちで何とか解決の方法を見出すためには、「大人が子どもを信頼する」ことが必要不可欠です。信頼してもらった子どもたちは、どうにかこうにか解決する糸口を模索します。大人では理解できない話し合いに進んだりしますが、大人が介入し一方的に仲裁されたよりも、子ども同士のトラブル解決は最後に子ども同士笑い合って遊びに戻るケースが多いです。(←時間はとてもかかります)

では、もう1つ。どうしても大人の介入が必要な場合は?まずは互いの気持ちを話せる雰囲気作りと時間が必要です。大人(保育者)の価値観で一方的な仲裁をすることのないように解決方法を一緒に模索していくことが大切です。


以上がトラブルの際の富岡保育園の基本的な関わり方です。しかし、さきほども述べた当事者の特徴や性格、発達段階やその日の気分に加えて、もう1つ欠かせない重要なポイントがあるんです。むしろ1番鍵を握っているところです。

それは‥当事者と保育者(家庭でしたら保護者の方)との【愛着関係】です。今回の場合は信頼関係と訳してもらっても良いです。

【愛着関係】が構築されていればいるほど、子どもは保育者(大人)から安心して離れて遊べますし、大人も離れて見守ることができます。そして危険を感じたならば大人のところへ戻る。

↑上記のことを『安全基地の輪』というのですが‥この輪が広がれば広がるほど子どもの世界は広がっていきます。そしてこの輪の中だとトラブルも安心して解決への糸口が見出してやすくなります。


トラブルの対応と『安全基地の輪』は非常に深く関わっていることが今日の説明で分かって頂けたでしょうか。

それでも「トラブルは必要ない。幼児期にさせない方が安心だし、社会へ出てトラブルばかり起こした困ります。」とのご意見もあるかと思います。この質問に対しては明日丁寧にお答えしてみたいと思います。


大切なお子様を、わたしたちトミホクルーを信頼して頂き命をお預けして下さっている保護者の皆様。信頼して頂き本当にありがとうございます。それに応える義務がわたしたちにはあります。強く責任を持ち、日々より良い保育を心がけることを誓います。今後も一緒に信頼して子育てできるパートナーとしてお付き合いさせて頂けることを願っております。

2020-08-18
“因果応報”って信じますか?

皆さま1日お疲れ様です。通勤途中に寄るコンビニの店員の方から「元気出して頑張って下さい‼︎」と何故か励まされちゃいました村上です。そして事務長からは般若心経の解説本をソッと手渡されたり‥園見学に来た友人からは手作りのラッキョ漬けを頂いたり‥何の因果かは定かではありませんが、村上が欲しているものが舞い込んでくる有り難い1日でした。


さて、実は最近仕事もプライベートでも、村上の“意見を求められる機会”が多数ありました。ブログ読者の方も経験あるのではないでしょうか?

相手の方が納得できる意見を話すことが果たして出来るのか⁉︎と不安に思うことはありませんか?

実際に、あらゆる状況に対応できる納得できる解答を話すことは困難なのかもしれません。

では、あきらめてしまうのか?実は「話す」の対極にある『聞く』がめちゃくちゃ大事なのだと改めて実感している2020年夏です。『聞く』と言っても、共に心を動かして聞く『聴く』です。

もしかすると、過去ブログで紹介させて頂いたかもしれませんが、本日は再度ご紹介させて頂きます↓

※「傾聴のコツ~話を否定せず、遮らず、拒まず~」金田諦應(曹洞宗通大寺住職)著


本の内容につきましては是非皆さまにもお読み頂きたいので(富岡保育園内保育LABOにあります)全部は綴れませんが‥

・まずは相手の言うことを「全肯定」する

・話の裏にある核心をどう見つけるか

・「わかるよ」ではなく「伝わったよ」

・沈黙を怖がらない

・全身全霊で聴くこと


話し好きの村上にとって『聴く』ことはとても至難の技であって修行の身です。是非ブログ読者の方、お話があれば富岡保育園内保育LABO村上まで。どんどんお聴かせ下されば幸いです。宜しくお願い致します。

2020-08-17
実話『逃げたり立ち直ったりするための勇気』

どうも‼︎「副園長ブログ」遂に‼︎2年目に突入させて頂くことになりました村上です

今までの読者の方も含め、これから出会う読者の方へ、私の時間を使って読む「副園長ブログ」を綴ってる副園長って、どんな人なの?

(読んだ文章を綴る人が信頼がおけるのかorおけないのかは、理解や納得する上で大きく影響しますよね。これから下記に綴る内容があなたにとって信頼が得れるかどうかは分かりませんが、副園長村上の一面をご紹介させて頂きます。)


ブログ内でも多々連ねている力があります。「レジリエンス」って横文字です。簡易的に説明すると、「負の状況から立ち直る力」「逆境から立ち直る力」「回復力」とでも言える力です。それに加えて最近の副園長村上は「逃げる力」も大事だよー‼︎と、幼児教育の専門家として発信しています。“逃げたり”“立ち直ったり”しながら、環境に適応して生き延びることが大事だよー‼︎と。

そんでもって副園長村上は、実は“逃げたり”“立ち直ったり”を口だけでは無く実践しているんだよエピソードをご紹介しちゃおうと。


時間は遡ること、高校3年生の冬のこと。当時の村上は進学高に行ったものの、絵に描いたような落ちこぼれで、「自分のうだつのあがらない現状を、誰かのせいにして」ダラダラと過ごし学校をサボりがちな、いわゆる不登校学生でもありました。それが、ひょんなことから(←ハッキリと理由が思い出せないので)家出をすることになったんです。携帯を家に置き、ポケットに二千円を握りしめ、部活動で使っていたウィンドブレーカーを着て。とりあえず、海沿いをただただひたらす真っ直ぐ漕いだ記憶があります。ハッキリとした目的も無く、今のようにスマホで地図のアプリも無いまま。

17歳の体力には今となってはビックリします。住宅街に迷い込み同じところをグルグル回ったりしながらも、とにかく海沿いをひたらす真っ直ぐ。途中お腹も減ったり喉も乾くで、二千円の財もすぐ底をつき出しちゃったり‥とにかく漕いで漕いで、岡山県から広島県の広島市のネオン街に到着しちゃったんですね。もちろん泊まるところも予約なんかしてませんから、少し離れた公園の土管(←ドラえもんの空き地シーンで出てくる中が筒状の土管です。)の中で寝てみようと体をすぼめて。しかし、凍えるような寒さの中で、公園内で白スーツに身を纏った大人を筆頭に数名の怒号と喧嘩シーンを目撃しちゃうんです。慌てた村上はすぐさま自転車に飛び乗り、背中に〇〇高校バスケットボール部と記されたウィンドブレーカーを着て無我夢中で逃げました。

現在、当時と同じことをやれるか⁉︎と聞かれると‥必ずNOと答えると思います。無我夢中で逃げた後、真夜中の暗闇に、海沿いを走ってきた地理感も失い、とにかく疲れ果ていると。目の前に無人のお寺が見えたんですね。怖さよりも寒さと疲労が勝ったんでしょう。無人のお寺に忍び込んで体を縮こませ数時間眠りました。

あの時の朝日といったら、厳しいってもんじゃなかった。今自分がどこにいるのか?ポケットのお金もジュース1本くらいしか買えるお金しか残ってない。「とにかく“なんとかして”帰ろう」と奮起して自転車を漕いだ矢先に、悲劇は起こるもんなんですね。自転車の両輪がほぼ同時にパンクしちゃったんですね。高校3年生で今まで“他人のせい”にして“自分でなんとかする”ことをしなかった村上にとっては悪夢としか言いようが無かった。そこでとった行動は‥親指を立ててヒッチハイクもどき。でもスピードの出る道沿いで、何の看板も持っていないところに止まる車なんていない、世の中そんな甘かないんです。

あきらめて、両輪がパンクした自転車を涙も汗もこぼれながら押し歩いていきました。時々道路標識にかかる岡山県まで〇〇〇㎞に意識が遠のきながらも。

押し歩く途中すれ違った人に声をかけ、自転車屋さんを紹介してもらえることになり、また数㎞押し歩きました。事情を必死に懸命に説明する17歳の村上に、自転車屋さんは、両輪のパンクを無料で直して下さり、食事までも下さりました。この時のご飯は涙でしょっぱかった記憶が鮮明に残っています。

自転車屋さんから家路までの記憶は、無我夢中過ぎたのか全く記憶がないんです。ただただ自転車屋さんに「ありがとう‼︎」と心で叫んで全力で漕いだんです。


そんな村上が綴っているのが‥富岡保育園公式ホームページ内「副園長ブログ』です。効率よりも無駄を好んでしまう、デジタルよりもアナログを好んでしまう、スマートとはかけ離れた人間の泥くささを纏った村上です。

もし宜しければ‥いや‼︎頭を下げます‼︎今後もお付き合い下さい。あなたのチカラが必要なんです。そして一緒に『とみほ村物語』(富岡保育園の暮らし)を紡いでいきましょう。



2020-08-16
副園長ブログ1周年記念SP『夢を語る』

おはようございます。8月15日終戦記念日の朝を迎えました村上です。思えばひぃおじいちゃんが生きていた頃は会えば必ず戦時中の話を聞かされていましたが‥戦争体験の無い世代に生まれ、リアルな世界よりもスマートフォンの世界にどこか心身が寄せられている僕たち‥そんな僕たちが次世代へ繋げていく世界とは?


本日副園長ブログをスタートさせて1周年。とみほ村(富岡保育園)のことだったり、トミホクルー(保育者)のことだったり、子どもたちのことだったり、保育の専門的知識や情報のことだったり、時には村上個人のことだったり‥日々目を通して下さる方々のお陰様で365日休まず綴らせて頂きました。

そこで、今日は感謝の意を込めて村上の“夢”を赤裸々にお伝えさせて頂きます。

2017年。今から4年前。僕が保育の道に体を預けてから10年目のこと。園長先生からある東京の保育園の見学へ勧められたことがキッカケとなるのですが。「保育」の固定概念がサーッと抜け殻の様に取り去られた記憶を今でも思い出します。

『世界一楽しい保育園を作ろう』と、保育の道に魂を預け、現在所属する岡山県の田舎町笠岡市で大きな旗を掲げました。

芸能人でもなければ、どこぞの幼児教育の教授でも有名人でもないにも関わらず本気で『世界一楽しい保育園を作る』と夢を語り県外県内各地の保育施設を学びに走り回りました。

そして、走り回った先の保育施設の方には何の恥ずかしげもなく分からないことを単刀直入に聞き、インスピレーションを受けた学びは、園へ持ち帰り、何の躊躇いもなく真似をしました。

そんなドタバタな急展開が目まぐるしい日々を、富岡保育園の仲間たちは、なぜ許してくれたのだろうか?と、実は時々想うことがあります。自分で言うのも何ですが、2017年、2018年の2年間は僕自身特にアンテナを厳しく敏感に張って夢に向かって邁進していましたので、仲間にとっては、熱量の激しさに心身ともに火傷する状態にあったんじゃないかと。

しかし、そんな試行錯誤の日々の連続で仲間たちと一緒の夢を持つことができました。それが『世界一幸せな保育園を作る』ことです。そして、“幸せ”って何だろうか?と、仲間たちで問い直していく末、導かれるように‥

2019年、『丁寧な暮らし』を基に、日々の一瞬一瞬を大事に生きていこう、普段の何気ないドラマに想いを寄せていくことを、富岡保育園の仲間たちでシェアするようになりました。

そして、2020年。暮らしの理想郷を目指し、【地に足をつけた感謝が巡る場所】として、保育園から“村”という位置づけへ。富岡保育園から“とみほ村”として。あらゆる多様な人たちが一期一会できる場所として。


みんないろいろある中でこの世の中を生きているんだけど、嬉しかったり楽しかったり辛かったり悲しかったり、心弾むような日もあれば、淀んだ淡い気持ちの日もあるけれど、“とみほ村”に来れば、暮らせば、「何だか穏やかになれる」そんな場所になれるように、なり続けられるように、仲間たちと感謝し合う日々を過ごすことが、村上の夢です。


“世界一”と豪語していた4年前から穏やかに柔らかく夢を変化させていきました。世界は見渡せば限りなく広いんだけど、自分の隣にいる人、周りにいる大切な人で世界は作られているんだろうと。僕たち“とみほ村”が作る【地に足をつけた感謝が巡る世界】を次世代へ繋げ伝えていくことを使命として今後も努めてまいりたいと思います。


366回目も乞うご期待下さいね。また明日もお会いできることを楽しみにしてます。今日が素敵な1日になりますように。

2020-08-15
新型クレナイウイルス対策

今日はコミュニティ内においてコロナウイルスなどのウイルスと同等の感染力と、チームの命を奪いかねないウイルスのお話をします。お盆の最中に怖い話をしてしまい申し訳ありません。


僕たち、とみほ村(富岡保育園)コミュニティは、「岡山県笠岡市の地域の子どもたちを保育し未来へ希望を繋げる」という目的のもと、20数名のトミホクルー(保育者チーム)が集い暮らしております。

コミュニティの健康状態を把握・理解することで、健全なチーム保育が可能になります。(←園長や副園長の仕事の大半はココです。)

そこで、今日は、誰にも頼まれていないのですが、コミュニティの健康診断をする上で、最も危険なウイルスの紹介をします。


それは‥

『新型クレナイウイルス』です。

「どうして、あの人は〇〇してクレナイのか?」

「もっと、〇〇してクレレばいいのに!」


この『新型クレナイウイルス』の恐ろしい点は、感染力が強いことです。1人が〇〇してクレナイと言い出すと、周りの人達までもが、〇〇してクレナイ⁉︎と思い始めるんです。

すると、コミュニティ内が、仲間に対して〇〇してクレナイと思い合うことで、“不平不満”や“愚痴”が蔓延してしまい、コミュニティの命を奪う結果になってしまいます。

さらに、『新型クレナイウイルス』はマスクをしようが消毒をしようが否応がなく感染していくんです。怖いですよね。


だからこそ、対策を考え実践しなくちゃいけないんです。箱やパッケージが綺麗でオシャレでも中身にウイルスがあってしまっては『新型クレナイウイルス』は蔓延るばかりです。

とみほ村の対策としては、【笑顔と感謝サイクル】を常にコミュニティ内に作り予防線を張っておくことです。

“ありがとう”が飛び交うコミュニティは、他者への期待よりも“感謝”を示すチームになるんですね。すると、クレナイウイルスは侵入することすら困難になるんです。


ブログ読者の方の属するコミュニティ内の(職場だけに限らず、家族や友人、学校関係など様々あります)健康状態はどうでしょうか?「〇〇してクレナイ」とのフレーズは不平不満や愚痴に繋がりコミュニティの命を落とす危険もはらんでいますよ。


とみほ村の健全なコミュニティ作りに皆様今後ともご協力・応援・参加宜しくお願いいたします。

ご近所にヤギ⁉︎
2020-08-14
村上の約束をお知らせします

こんにちは。最近YouTuber活動をサボり気味の村上です。(※「富岡保育園付属大学」と検索してみて下さい。現在179本動画配信中です。)

実はInstagramについてもサボり気味なんです。

なぜ、サボっているかと言いますと‥「暮らしのバランス」が乱れ散らかっていたというのが本音です。

とみほ村の村長(富岡保育園園長)より唯一与えられた仕事内容が「生きること」である村上にとって、仕事もプライベートも全てをさらけ出し、村上の良い面も悪い面も含めたありのままの人生物語を発信していくことが、とみほ村への貢献だと心得、奮闘しておりました。

しかし‥さらけ出す際に、村上個人だけでなく他者を巻き込んじゃう時もある、そんな時に、必ず他者にとってhappyでなくちゃいけないんですね。

他者をhappyにさせるには、発信者自身の「暮らしのバランス」をきちんと整えた上で発信しなきゃいけないんです。これが発信する上での最低条件です。


先日、ガンで母親を亡くされた友人から「あなたのガンと向き合っていた時の前向きなメッセージを、母親に毎日伝えて励ましていました。」とのお言葉を頂きました。

発信者の言葉は、発信した時点で、自分だけの言葉ではなくなります。言葉を受けた他者にとっての言葉にもなります。


富岡保育園公式ホームページ内で、毎日、副園長ブログを綴り言葉を発信しています。子育て中の方だけに限らず、また保育関係の方だけに限らず、様々な方が村上の言葉を受けて下さっております。そこに必ず“happyのある言葉”“前向きなメッセージ”を続けるお約束を今日はさせて頂きます。


それではまた明日ここでお会いしましょう。あたなが今日1日を生ききることを願っております。

互いに幸せを願う
2020-08-13
スカートがビチャビチャに‼︎

こんにちは。久しぶりにランチミーティングに参加しました村上です。

(※とみほ村ではミーティングを、お昼と夕方の2回にわたって主任や副主任、グループリーダーなど3.4人で行います。子どもの健康状態や家庭の状況などの情報を整理して全てのクルーに伝達するシステムをとっています。)


さてランチミーティングの最中、お外から何やら声が‥子どもたちと保育者で「ゴミ箱掃除」に励んでいました。

深いゴミ箱の隅まで丁寧に‥すると、スカートがビチャビチャに。けれど「着替え持ってきているから大丈夫なんで‼︎」と答える姿がとても頼もしく感じた場面でした。


そして続け様に手洗い場では‥お昼ご飯のゴミ入れ容器を洗剤で丁寧に洗う子どもを見つけました。「僕はちゃんと洗えるんで‼︎」と黙々と取り組む姿がとても頼もしく感じた場面でした。


印象的であったのが、2つの場面を見守る保育者が共通した言葉をかけていたことです。

「ありがとう。先生助かったわ~。」と、感謝の意を告げる言葉でした。


「凄いね~。綺麗にできたね~。」などの評価ではなく、「ありがとう。助かったよ。」の感謝の言葉。

どちらも子どもにとっては嬉しい言葉ではあるとは思いますが、「手伝い」の目的は“評価されること”ではなく“役に立っていること”つまり“感謝されること”ではないでしょうか。

感謝の意をどんどん子どもに告げていき、『感謝し合える関係』を築いていきましょう。(※子どもだけではなく、人間関係全般に言えることですね。)

ゴミ箱掃除
丁寧に
2020-08-12
““管理・評価”ができない環境作りの意図とは?

おはようございます。ある企業の経理の方とお話しさせて頂きました村上です。コロナ渦における“リーダーの立ち振る舞い”が持続可能性のある組織になれるか否かを決めるキーポイントだと改めて実感しました。(※詳細は、トミホクルー限定とみほNEWS内にて赤裸々に投稿します。)


さて、猛暑の夏日がやってまいりました。とみほ村の子どもたちは、ご飯やお昼寝などの時間を除いては、基本的に‥どこで⁉︎誰と⁉︎何して⁉︎遊ぼうと⁉︎休もうと⁉︎過ごそうと自由に暮らしております。まさに『オープン保育』の状態です。


『オープン保育』の状態で、見学者の方を含め必ずご指摘下さる質問があります。

「人数の把握はどのようにされるのですか?」

「乳児と幼児が一緒にいて危なくないのですか?」

「子どもが何をしているのか管理できるのですか?」

「どのように子どもの評価をするのですか?」

などが列挙されます。ご指摘通り、『オープン保育』の状態は、1人1人の子どもを管理・評価するには困難であります。


しかし‼︎実は‼︎

このデメリットを狙ってやっているとしたら話は変わってくると思いませんか?

1人1人の子どもを管理・評価できない状態に環境を作っているとしたら!?

管理・評価にどっぷりと浸かってしまった乳幼児は、小中高と、さらに管理・評価される生活を余儀なくされます。

すると、失敗したり転んじゃったりした時に‥「僕や私は、あなたたちの管理・評価に従って生きてきたのに、失敗しちゃったじゃないか。転んじゃったじゃないか。どうしてくれるの?あなたの管理・評価が良くなかったからじゃないですか。責任とって下さいよ。」ってことになりかねませんよね。


他人のせいにする人生ではなく、全てを自分事としてとらえる人生を送るには、乳幼児期より、『自らの責任で自由に選択できる環境作り』が必要なのです。

とみほ村のオープン保育の意図を本日はお話しさせて頂きました。ご意見ご感想お待ちしております。

重い‼︎
2020-08-11
とみほ村保育者進化論

こんにちは。通勤途中に灼熱のアスファルト端で草刈りに励む現場仕事の方を見かけ、「もちろんお金を得るため自分のためでもあるけれど、どの仕事を選ぼうと“世のため人のため”社会貢献なんだ」と改めて感じました村上です。


さて、本日も生物学の視点で保育雑誌などには掲載できない内容をお届けさせて頂こうと思います。

題して【保育者進化論】です。

※あらかじめ補足しておきますと「進化」は決して「進歩」ではありません。Aの視点で優れていても、Bの視点では優れていない場合もあったりします。その時々の環境に適応した結果が「進化」であることを理解した上で読み進めてみて下さい。


生物の中の、ヒトという種の、さらに「保育者」を限定的に研究してみようとの村上の挑戦記事です。

ブログ読者の方も含め、社会で現役生活を送ってる僕たち世代は、日本に限って話をしますと、乳幼児の死亡率がグッと下がり、平均寿命がグッと上がり、なかなか死なない、どんどん人口が増える世界に生きてきました。

保育施設で言えば、園児はどんどん増えていき、30人以上の子どもを1人の保育者が保育するのが当たり前の時代です。その環境下で保育者として生き残ることができた保育者は「大人数の子どもを管理することができる」能力に長けた人です。

そして時代は、超高齢化少子化に突入しています。園児の数は地域ごとに異なる傾向を示しますし、働く女性が増える傾向、こども園化が進む傾向、などなど様々な要因が複雑に絡み合う時代です。

保育者の業務が「大人数の子どもを管理することができる」能力だけでは生き残ることが困難になっているのが現実です。それだけ社会に求められる、貢献しないといけない仕事があるということでもあります。


では、「どのような保育者が生き残れるの?」という質問が浮上しますよね。この答えは生物学的にシンプルに「環境に適応できた保育者」です。

例えば、鼓笛隊などの見栄えの良い保護者が分かりやすく感動できるメインコンテンツのある保育施設では、「鼓笛隊を管理し上手に表現させること」が出来れば保育者として生き残れます。あくまでも、現代が鼓笛隊をメインコンテンツとしている保育施設を求めていればの話です。※否定や評価をしている訳ではありませんのでご了承下さい。


さて、他園ではなく、富岡保育園、とみほ村に目を向けてみましょう。とみほ村の保育は「見守る保育」をベースしながらも、岡山県、笠岡市、富岡地区の環境に、また江戸時代末期から建造された建物の環境と、またそこで今働く保育者の環境とが、相互に適応した保育がなされています。

保育内容もシンプルに、「子どもたちと心を寄せ合い感動すること」です。実は、たったこれだけです。運動会だったり発表会だったり見栄えの良いコンテンツは2017年以降お別れを告げました。

なので、とみほ村の保育者は「子どもたちと心を寄せ合い感動できる」ことが生き残る条件になっていきます。


コロナ渦において社会の常識がめまぐるしく変化する時代です。保育施設に社会がヒトが何を求めているか⁉︎を見極め適応していかなければなりません。

とみほ村では『笑顔と感謝』をもって、子どもたちと心を寄せ合い感動していく日常を送っていきたいと思っております。

2020-08-10
Q.お釣りはいくらでしょう?

こんにちは。連休真っ只中、保育LABOにて朝読者をしておりました村上です。(※「保育LABO」とは富岡保育園内にある、保育を研究する小屋風の和室です。多種多様な方たちに集まって頂けるように美味しい珈琲を煎れる努めもしておりますので是非お立ち寄り下さいませ。)


ちなみに本日攻めておりました著書は哲学者である鷲田清一さんの「濃霧の中の方向感覚」です。

教育についても触れているのですが、その中である算術嫌いの画家の言葉を引用しており、是非皆さまにご紹介したいと思いました。

「私は5+5を羽左衛門がやると100となったり、延若がやると55となったり、天勝がやると消え失せたりするような事を大いに面白がる性分なのである」

「いくらの買い物をして釣銭がどうとかこうとか、全くそんなケチな事はどうだっていい。教師や親に何と言われようと釣銭はいらないよ」


ブログ読者の方、どのような感想をお持ちになりましたか?

“ただの屁理屈”に思えた方もおられるかもしれませんが‥“効率”主義を求められる現在の教育現場ではあり得ない解答ですよね。

しかし、「釣銭なんていらないよ」との『気前の良さ』から知性と想像を使った“奉仕”する生きる力を感じずにはいられません。


鷲田氏は「教育」が効率主義、いわゆる消費社会におけるサービスという名の受動的な「顧客」に成り下がっていると言います。

幼児教育に関しても例外でない気がするのは村上だけでしょうか?


2020-08-09
久しぶりの“辛口村上”降臨‼︎

こんにちは。最近“歯医者好き”になってしまった村上です。以前は歯医者と聞くだけで痛みを感じていたのですが‥

心境の変化は新しい歯医者さんのサービスにあります。口の中の治療は本人には全く見えず検討もつかないのですが、1つずつ薬の名前や、治療の方法、作用や効能について事前に細やかに伝えて下さるんですね。それもただ「痛みを感じるかもしれません。」と伝えるのではなく、「歯茎の〇〇の辺りに薬が少し染みてジンジンとした痛みを感じるかもしれません。」と、『事実と感情に即した言葉』で伝えて下さるんです。(かさおかフレンド歯科 岡山県笠岡市富岡230-3※宣伝費等一切頂いておりません。)


さて、最近の村上のブログネタと言えば‥人類学、生物学、哲学などなど。保育・幼児教育と関係が無いようなネタを配信しております。

しかし‼︎しかしですよ‼︎学べば学ぶほど、保育・幼児教育(教育)は、人類学や生物学、哲学の内にあるものなんですね。

少し辛口にお話ししますと‥世間にありふれている「保育・幼児教育とは?」の答えは、いまだに、「エプロンを着た可愛い先生が子どもの面倒をみる」なんですね。専門技術は「ピアノを弾いたり、可愛い壁面飾りを作ったり、運動会や発表会にクラスをまとめあげて保護者を感動させること」なんですね。

上記のお手本の様な保育者は、子どもたちを、失敗しない転げない運動場で走らせるんですね。でもって、同じ服装、同じ言動、同じ行動、同じレールの上を乗りこなせるよう画一化を目標に教え育てるんです。すると、世間一般に知られている保育者の本分は達成されるんです。

(「村上‼︎あんた‼︎何いい加減なこと言ってんの‼︎」とツッコミを入れて下さったブログ読者の方。その勢いで最後まで目を通してください。)


ここで、時代の変化に一先ず目を向けてみませんか?2020年は兎にも角にも「コロナ渦」旋風まっしぐら。世の中の常識が、1週間の中でもコロコロ変わって行くんです。運動会で綺麗に整列させて行進させると、「密だよね~。」と言われちゃう時代なんです。偏差値の高い有名な大学に入っても、都市部ではアパート代が払えなかったりで辞めざるを得なかったりしちゃいます。しかも、学びたい分野が定まっていれば、その道のエキスパート達はオンラインサロンなどの個人塾のようなコミュニティがあるので大学に行かなくても学べる時代なんです。もう少しだかツッコミますと、大企業に入社したからといって、「2020年度上半期80%収入減でした」といった事態に飲み込まれる時代なんです。

上記を一言で言えば【濃霧】です。社会の常識を掴んだと思ったら、一瞬先には新しい常識へとゲームチェンジが繰り広げられる時代。


上記の時代背景を基に↓

「濃霧感覚の大人が敷いたレールって安心安全なの?」

「失敗しない、転げない運動場を走らせておいて大丈夫なの?」

と、皆さんに問い直します。


乳幼児期こそ、どんどん失敗できる環境。どんどん転がられる環境。一回でも二回でも多く失敗して転げられる環境。失敗しても転げても「へっちゃらだね。」の感覚が身につく環境。『凸凹な空間に、凸凹な多様な人たちが集まる環境を作る』ことが、人類の生存戦略にうってつけなんじゃ無いかな~と、村上は優しく考えています。


是非皆さまも一度、子育て、孫育て、ほい、教育、社会に携わる方々全てお考え頂ければ幸いです。

2020-08-08
“感謝”と“感動”を忘れずに

皆さま1日お疲れ様です。本日、実習生と指導保育者代表2名とで行う実習反省会に参加させて頂きました村上です。

20日間、社会(保育園)の中で、保育技術だけではなく、社会生活における学びをたくさん得ることが出来たのではないかと振り返ります。“感謝”と“感動”を忘れずに是非保育士資格をとって欲しいと願います。


さて、たまたま光グループ(2歳児生活グループ)のお部屋を通ると‥なにやら事件が。お友だち同士でぶつかっちゃって1人の男の子の唇から出血が。

保育者がさりげなく安全な場に移動させ止血をしていました。と‼︎そこへ‼︎野次馬‼︎ではなく‼︎めちゃくちゃ心配そうな表情を浮かべた子どもたちが集まってきました。

子どもたちの視線の先は、止血をしてもらっているお友だちです。

保育園では、子どもも大人も含めて、様々な家庭環境の人たちが暮らしを営んでいます。暮らしの中に社会で生きていく学び(社会情動スキル)がふんだんにつまっていることがよく分かる場面でした。


(※“思いやり”などの情動スキルも、実は生まれながらに持っていて、わざわざ大人が教え込んだりする必要がないのかな~とも思っちゃう2歳児生活グループの唇出血事件簿でした。)

大丈夫⁉︎
2020-08-07
互いに“譲り合う”関係

おはようございます。「一朝一掃除」を心がけております村上です。毎朝、園内のどこかを掃除させてもらい村上のアカとホコリをとっちゃおう‼︎という企みです。


さて園庭では‥ビールケースなどを繋げて橋渡しのように組み立てている子どもたちを見かけました。ビールケースの橋を裸足や草履で駆けて遊んでいます。

(↑ここまではよくある光景ですよね)

はじめは組み立てた子どもが遊んでいたのですが‥次に様子を見てみると、組み立てた子どもではない子ども集団が橋の上を駆けていました。このグループはジャンケンなどを取り入れてルールを用いて遊んでいます。

(↑ここまでもよくある光景ですよね)

もう少し様子を見てみると‥ジャンケンをしながら橋を駆けているところに、2、3歳の子どもたちが集ってきました。2、3歳の子ども集団たちは、橋の上をそーっとバランスをとりながら渡っていきます。

(↑ジャンケンをしながら橋を駆ける子ども集団とは、遊びの目的が違います。さて、この後、目的が違う子ども集団たちはどうなったのでしょうか?)

せっかくなので、もう少し様子を見てみると‥ジャンケンをしながら橋を駆けていた子ども集団は静かに、そーっとバランスをとりながら渡る子どもたちに『橋を譲り』違う遊びの場面へと駆けていきました。


この遊びの場面について、どのように皆さまは考察しますか?『譲る』という心の動きに着目してみると‥実はジャンケングループが駆けている間、そーっとバランスグループは、橋の近くで遊びを見て譲っていました。急に割り込んだ訳ではないことをジャンケングループは知っていたからこそ、橋を譲ることができたのでかな~と。


「年上だから年下に譲る」のではなく、『互いに譲り合う』関係が異年齢保育の醍醐味なのではないでしょうか?


橋を譲る
2020-08-06
それぞれ尺度が違って当然

皆さま1日お疲れ様です。保育LABOに1日ひきこもっておりました村上です。

なぜかって⁉︎理由があるんです。保育現場において主任・副主任を要に試行錯誤が日々円滑に繰り広げられているからです。ベストとベターの境界線を視野に入れながら、現段階における最善の保育実践を積極的に模索しています。

そんな時に、村上(副園長)の存在は、ハッキリ言っちゃうと邪魔なんですね。足止めになっちゃうんです。村上の一言で現場の思考が止まりかねないと判断して上で‥ひきこもっております。


さて今日は生物学のお話を少しだけ。最後まで目を通してしまうと、モヤっとした気持ちになるかもしれないのですが、あらかじめご了承下さい。

生物と言っても、僕たち人間のような「動物」もいれば、「植物」もいます。また動物にも植物にも属さない生物もいます。(生物とは?話を続けると終わらないので、参考著者を紹介しておきますね。「美しい生物学講義」更科功)


でもって、ここで『年齢』という尺度について考えたいのですが‥動物の中では、人間は長生きの部類に入りますが、植物で言えば何千年と生きる樹木もあったりするわけで。

それも、1日を24時間、1年を365日と人間が定めた尺度で『年齢』を定めてるのをお忘れないようにして頂きたい。

少し頭を柔らかくして考えてみると、セミにはセミの尺度があって、縄文杉には縄文杉の尺度があるんですよね。

生物的に言えば、生物にはそれぞれ“尺度”があって、多様であり比べることも無理難題であるからこそ、あまり意味がないのかもしれないんです。


少し、回り道をして話を進めましたが、村上が言いたいのは‥「〇歳だから〇〇ができる発達段階にある」といった、平均値をとったような年齢尺度の評価は、あまり意味がないのではないでしょうか?とのブログ読者の方への問いです。


1人1人の人生の尺も分からないままに、無理に発達を進めたり、無理に発達を待たせたり‥することが教育(幼児教育を含む)のすることなのでしょうか?

本人の尺度で成長していける環境を今後どのように作れるかが鍵を握っているのではないでしょうか?

2020-08-05
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