富岡保育園へようこそ!「伸びる。成る。子どもも大人も互いに伸び合い、成長し合う『大きな家』でありたいと願い、社会福祉を支えています。

富岡保育園

副園長ブログ

『心地よさ』がもたらしてくれる産物

京都大学1日体験から帰ってきた村上です。染まりやすい性格なので気分は京大生になって、保育園では何を研究しようかな⁉︎と自問自答して1日過ごしました。


さて、そら(0.1歳児)グループでは、子どもの発達に応じてミルクを哺乳瓶であげている場面がありました。保育者に抱っこされながら、「よく飲んでるね~」と声をかけてもらいながら、そして微笑みかけてもらいながら。皆さんも想像できる場面だと思います。

実は、このありきたりな場面にも、“科学的根拠”に基づいた「ヒトの発達」に重要な原理が隠されていることにお気づきでしょうか?

ちなみに、このミルクを哺乳瓶で飲んでいた子どもの表情はとても『心地よい』ものでした。この【他者は『心地よさ』をもたらしてくれるという記憶】が→【他者との円滑に関係を築いていくための土台】になるのです。

そして、その土台にを築く為には‥この保育者のように抱っこ(身体内部に生じる『心地よい』感覚)と、「よく飲んでるね~」との声かけや、微笑みかけてもらう(身体外側からの『心地よい』感覚)ことが、同時に行われる必要があるのです。

裏返すなら、抱っこしながらミルクを飲ませていたとしても、微笑みかけていなかったら⁉︎声をかける代わりにスマートフォンを見せていたら⁉︎【他者との円滑に関係を築いていくための土台】が作るチャンスを損失してしまうことになります。


このような“科学的根拠”が示す子育ての概念を、知っているのと、知らないのとでは大きな違いがあります。多様な情報が飛び交う現代だからこそ、正確な情報は“科学的根拠”に基づいて得なければなりません。

『知らないことを知る勇気』を持って、子育てを楽しめたら、大人の発達もできることにお気づきでしょうか?

※『ヒトの発達の謎を解く』−胎児期から人類の未来まで–明和政子 京都大学大学院教育学研究科教授 10月9日発売‼︎ちくま書(本体価格820円+税)ヒトの脳と心が生まれ、発達していくという生命現象を真に理解するための一冊です。

2019-09-26
“科学者の底力”に触れる

1日お疲れ様です。学生の時には入学できなかった京都大学に1日侵入学してきました村上です。なぜ京都大学へ⁉︎今日は京都大学大学院教育学研究科の明和政子先生のおられる明和研究室にお邪魔するためです。

明和先生は、「脳と心の発達」について科学的に研究されておられる方で、まさに乳幼児期の保育、子育てを担う僕たちは必ず学ばなければならないんです。

http://myowa.educ.kyoto-u.ac.jp/

(↑明和研究室に興味がある方はどうぞ)


保育や子育てが決して経験論や感情論だけにならないためにも、科学者たちが解き明かした科学的根拠(原理や本質)を学び実践していかなければなりません。

明和研究室では、あらゆる専門分野の方々を交えて、「脳と心の発達」を研究されていました。教育の専門家だけでは、まずこのような科学的根拠まで辿りつけないんだと思います。

そして、僕のような現場での試行錯誤の内容について、丁寧に科学的根拠に基づいてお答えして下さる明和政子先生と、研究チームの方々でした。それは、常に『疑う』思考から本質を解き明かそうとする“科学者の底力”ではないかと感じました。


約2時間ほどテーブルを囲んで熱い学び合いをさせて頂きましたので、詳細については今後ブログ読者の方にも伝えて共有していきたいと思います。


僕のように園から飛び出し『学びたいことを学べる』環境は、仲間(保育者仲間はもちろん保護者の方、園児の皆)のお陰であることは間違いありません。感謝は即行動で示していきたいと思いますので今後もご協力宜しくお願いします。


科学者の底力
2019-09-25
同じ形のロボット人間はつまらない⁉︎

こんばんは。お昼に岡山政経塾の先生と野菜ソムリエの方が作られるランチを頂きました村上です。五穀米ならぬ七穀米もあり、どのお菜もそれぞれに“違う”食材や味付けしたが、どのお菜の邪魔をすることやく調和がとれていたように思います。


先日の『“いじめ”をコントロールする』というブログ記事をほとんどそのままトミホ(富岡保育園)が属する笠岡市の学校教育課いじめ支援員の先生に投稿しました。すると、直ぐに丁寧で実直な返事を頂きました。またその中身には笠岡市の教育に対しての熱い想いと覚悟にも似たような印象を受けました。本来なら笠岡市の教職員限定なのですが、教職員に限らず、このブログの読者が“今”を生きる、そして次世代へ希望を繋ぐ同士の方だと信じておりますので是非とも紹介させて下さい。

 

以下

 私は「いじめ」をなくすのではなく、コントロールするという考え方に心を揺さぶられました。このご意見にもあるように「いじめ」は本来人間(ヒト)が持つ本能で「なくならない」ということをよく耳にします。だからコントロールするということなのでしょうか。また「違う」感覚を大切にする教育は、私も同様の考えを持っています。揃っていることが美しいと言われていた時代、それに疑問を持ち体育会の全校マスゲームで「自分の好きなTシャツを着てやろう」と提案しました。体育会当日、一枚として同じTシャツはなく、子どもたちは自分のTシャツを誇らしげに、友だちのTシャツを興味深そうに見つめていました。お揃いの体操服から始められていますが、日々の生活の中であらゆる角度から「違い」を認め合える実践は可能です。「いじめ」をコントロールする心を養う一つの方法として、有効な手段はたくさんあると思います。

 約1年前掲載した樹木希林さんの言葉です。「ひとりひとり違って生まれる 当然差別がある いじめは違いから起こる 私も人をいじめたし いじめられたし それをなくそうなって ねぇ 果てしのない道のりです」「じゃあさ 皆で 同じ形のロボット人間に それじゃ つまりませんねぇ」

 違うことで排除するのではなく、子どもたちがお互いの個性を認め合う人に育ってくれたら、人(ヒト)は本来のホモ・サピエンス(知恵のある人)の道を歩んでいけるということなのでしょうか。

 小難しい事を言いましたが、ヒトがヒトとして生きるために、教育が果たす役割は「大」だと考えます。


いじめ対策支援員の方に限らず、学校や保育園の先生だけに限らず、“今”を生きる全ての人で向き合いたい、そして向き合えるように発信していくことも僕は努めと感じています。

2019-09-24
“とりあえず”から始まる『学び』

岡山県総社市「おーいし堂」のソフトクリームを食べました食欲の秋を満喫する村上です。休日は、“とりあえず”行ったことがないお店に行ったり、やったことがない体験をしたりするよう努めています。つい、年齢や経験を重ねるごとに、いつもと同じお店や、いつもと同じ体験をするようになってしまっているので意識的に“とりあえず”という感覚でいるようにしています。


先日、古道具屋で「測り」を頂いたので、園庭の砂場近くに置いてみました。さっそく見つけた子どもが“とりあえず”玩具を置いていました。そして、玩具を重ねたり、砂を盛ったり。また、手で体重をかけてみたり。すると、針が進んだり戻ったりするのを見て、自分で決めた数字(今回は「5」を目指していたようです)めがけて、玩具などのバランスを慎重に保ちながら、どんどん「測り」に積んでいきます。この子どもは、もちろん説明書を読んだわけでもなく“とりあえず”遊びはじめてみたんだと思います。玩具のバランスを保ちながら「数字」や「重量」の本質を『学び』とったかもしれません。

だとするなら、『学び』は“とりあえず”から始まるのでしょうか。

“遊び”は“学び”
2019-09-23
【道徳】とは⁉︎ 続編

休日にスターバックスで読書の秋にふけっております村上です。本日は先日紹介させて頂きました苫野一徳さんの「ほんとうの道徳」という本を読み進めていきました。


さしずめ、【道徳】とは⁉︎ある時代、ある共同体(国や地域や学校など)に限定された“習俗の価値”にすぎない。時代や文化を超えた絶対に普遍的な道徳などなく。道徳とは絶対に正しい価値観ではない。

と、まずは結論が述べられておりました。“習俗の価値”は、小さな共同体がまとまるためには強力な共通の価値観が必要だったので、とても大事にされていました。しかし、きわめて多様な人々からなる現代の社会において、家庭環境や文化的背景も様々であるにも関わらず、“習俗の価値”を押し付けてしまったら?異なる価値観との対立が起こるのではないでしょうか。

そこで人類が見つけ出した知恵こそが『自由の相互承認』なのです。『自由の相互承認』について、苫野一徳さんが小学生から僕にまで分かる説明をしていましたので、少し長いですがご紹介させて頂きます。


~社会には本当に色んな人がいる。お金持ちもいれば、貧しい人もいる。幸せな家庭で育った人もいれば、そうじゃない人もいる。会社に勤めている人もいれば、職人さんもいれば先生だっている。病気で働けない人もある。障害のある人もいる。日本人もいれば外国人もいる。仏教を信じている人もいれば、キリスト教を信じている人もいる。宗教を信じていない人もいる。

だから、みんなそれぞれ違った考えを持っている。そしてそのために、お互いがケンカになってしまうことがある‥下手をするとそのケンカは暴力や殺し合いにまで発展してしまうかもしれない。実際、人類はそうやって戦争を続けてきた‥じゃあ、そんな色んな考えを持った人たちが、共に生きていくためにはどうすればいいんだろうか?

それは、お互いがお互いに、ののしり合うのではなくてまず認め合うこと。障害があろうがなかろうが、宗教が違おうが、お金持ちだろうがそうじゃなかろうが、まずは同じ人間として認め合うこと。そしてそれを、社会のルールとすること。

まずは認め合う。それが、市民道徳と言われるものの一番大事なポイントなのだ。そしてその上で、調整し合う。まずは認め合うけど、共に生きていく中でどうしても認められないことだってある。だからそのことについては、暴力に頼ることなく、お互いに調整し合うのだ~


当たり前のようで、僕自身自覚できていなかった『自由の相互承認』。改めて、幼児教育を含めた教育の鍵になるのでは⁉︎と考えるとともに、では、『自由の相互承認』を原理とした社会を、僕たちはどうすれば作っていくことが出来るのでしょうか?

多様な平和へと向かう今の時代に生きる僕たちの使命なのでは⁉︎皆で一緒に考えていきましょう。

2019-09-22
“仮説”と“検証”

隣町の人気パン屋で「シミクロワッサン」たる魅力がありそうなパンが限定的に販売されるということで、行列が出来ると仮説を立てて、いざ意気揚々と営業時間前に並んでみた村上です。検証結果は、朝早いからなのか、それとも限定販売に購入者が慣れているのか営業時間に入ってからお客さんは続々と来店する様子でした。


さて、土曜日の午後からはトミホ(富岡保育園)では職員会議が行われます。日々の保育実践での疑問や課題を、年齢児別のクラス問わず話し合います。そして、来月(10月5日)に控えた“虹フェス”(1年に1度開催されるフェスティバル※昨年度はスマイルフェスティバルでした)についても話し合いが進んでいます。

そんな最中に、今日は村上より1つの議案をテーマに入れてもらいました。

『職員同士で名前を呼び合う際に“ファーストネーム”で呼び合えないだろうか』

なぜ虹フェスというイベントを控えながらも、このような議案を持ちかけたかと言いますと。見守る保育を保育実践していくうちに、先生と子どもの関係性が、今までの先生主体の活動から子ども主体の関係性に移行して以降、縦(上下)の関係性でなくなったこと。それは、大人と子どもという関係性よりも、1人の「人」と「人」として尊重し合う姿なのかもしれません。そして、そうであると“仮説”を立てたとして、職員同士が“ファーストネーム”で呼び合うことにより、「先生」という肩書きを前に、1人の「人」と「人」とを認め合う姿を子どもたちに見せられたとしたら⁉︎と、いう“仮説”を立ててみました。


今日の職員会議では、この議案に対して様々な意見が飛び交う中、「園長先生なども含めて、9月中ファーストネームで呼び合うチャレンジをする」という納得解が導き出されました。このチャレンジが子どもたちにとってどのような作用があったか。また、大人と子ども、大人と大人の関係性に何か作用が表れたかを、“検証”していきたいと思います。


“仮説”と“検証”の繰り返しで、人類は進化と存続の道を辿ってきました。

昨日、夕方前に雨が降ってきた際に、ひかり(2歳児)グループの子どもたちが縁側に出てきて、「雨だ!雨!食べてみよ!」「雨獲ってみよ!」などなど口々にしながら縁側から手を伸ばし雨を触ろうとしていました。「雨は食べれるのだろうか」と“仮説”を立てて、実際に手を伸ばして触り“検証”する姿こそ、人類の進化と存続を支えてきたDNAの象徴だったのでは。

人類の象徴
2019-09-21
【道徳】とは⁉︎

こんばんは。久しぶりに氷鬼ごっこで鬼になった村上です。今日は近隣の小学校で、小学1年生と就学前の子どもたち(エジソン 5歳児)との交流会でした。1年生の担任の先生の主導のもと、何種類かの鬼ごっこを活動として行い、その中には、整列をして並んだりする活動も含まれていました。トミホ(富岡保育園)の子どもたちは、普段整列をして並ぶ練習や、先生主導のルールのある遊びをすることはありませんが、1年生の姿を見て学び(学びの語源は真似です)ながら、担任の先生主導の活動をこなすことができていました。


 さて、そんな小学校では2018年度から、中学校では2019年度から「特別の教科【道徳】」の全面実施が始まりました。今までは、「道徳の時間」と呼ばれていたものが、正式な教科になったわけです。

と、言うことは‥検定教科書が使われ、「評価」されるということにもなります。【道徳】に評価の基準があるのか⁉︎価値観の押し付けにならないのか⁉︎様々な疑問が湧いてきませんか???


苫野一徳さん(熊本大学教育学部准教授 哲学者 教育者)が書かれた「ほんとうの道徳」を読み進めて【道徳】とは!?に迫っていきたいと思います。


【道徳】って何なのか?もちろん幼児教育の中でも、「乳幼児期に育てたい10の姿」の中にも【道徳】が含まれています。【道徳】が何なのかわからず、「道徳心を持ちなさい‼︎」と子どもたちに声をかける訳にはいきません。


そんなことを考えながら、今日は交流会の帰りに、トミホ(富岡保育園)からは遠い公園(通称タコ公園)に歩いて寄りました。トミホ(富岡保育園)には園庭に滑り台やブランコなどの遊具はありませんが、タコ公園には沢山の遊具があります。子どもたちは、その場で自分たちでルールを作っては変えて遊ぶ姿が見られました。途中転んでしまった子どもも友達に救出してもらったようです。

子ども集団の強み
2019-09-20
可視化されたドキュメンテーション

こんばんは。外国に行ったことがないにもかかわらず外国に憧れている村上です。園のある市内(笠岡市)に在住の韓国人の方とお喋りする機会がありまして、トミホ(富岡保育園)へ遊びに来て頂けるようお願いしました。グローバル社会とは、何も英語を話せれば良い訳ではなく、英語圏以外の国の方と混ざり合う社会であることです。


さて、午前中は消防署見学へ子どもたちと参加してきました。今年度は虹(3.4.5歳児)グループ対象で、60名ほどの人数を4回に分けて実施することになりました。少人数での見学ですので、普段見られないであろう、消防士の方が使われる仮眠室やお風呂場なども見せて頂き、より消防士の方の生態がリアルに感じられたのではないかと思います。もちろん救急車や各種の消防車などを事細かく間近で体験することができ、参加した子どもや職員も、普段見せないリアクションをとっていました。


そんな姿を、保護者の方に伝える手段として、“可視化されたドキュメンテーション”を方法の1つとしています。なるべく早くその日のうちに「体験」を可視化することで、子どもにとっても大人にとっても「体験」が「経験」となり「学び」になります。言葉だけでは伝わらないことを玄関口の壁新聞で扱う写真などを通して伝えることにより保育実践について保護者の方にも理解と評価をして頂けるよう努めております。その日あった出来事を通して、親子での会話が弾めば嬉しいです。

今日の壁新聞
2019-09-19
少子高齢化時代の鍵

103歳の敬老の方にエネルギーを頂きました33歳の村上です。「104歳になるまでにまたおいでよ」と仰って下さいました。

その場面があったのも、今日は、園よりタクシーで15分程の場所にあります高齢者の施設での敬老会に参加させて頂いたからです。

子どもたちを見るなり「可愛い~‼︎」と言って下さり、子どもたちも喜び、敬老の方と歌を歌ったり握手をしたり戯れる様子がありました。


現在日本の100歳以上の方は7万1238人です。(2019年9月15日時点)ちなみに、1963年の頃は153人でした。(56年で465倍以上の増加傾向です。)

日本社会において“少子高齢化”は避けては通れない道だと思います。

そんな時代にあって、高齢者と乳幼児の関わりは『少子高齢化時代の鍵』になると考えます。乳幼児期より、車椅子などを扱う方たちを含めマイノリティー(社会的少数派)の人たちとの関わりを持つことで、自分との“違い”がある人が世の中にはたくさんいて当たり前である認識を持てること。これは、間違いなくグローバル社会へのフィットにも繋がります、現代に蔓延る「いじめ」や「不登校」などの問題の解決の糸口にもなるはずです。


トミホ(富岡保育園)では、今後いっそう、年齢や性別や職域など、社会的境界線を取り払い、色々な人や価値観に触れる“暮らし”ができるよう仕掛けを考えていきたいと思います。是非このブログを見て下さっている方もご協力宜しくお願いします。

2019-09-18
“将来”を案ずるよりも

占い好きの村上です。ちなみに動物占いでは「楽天的な虎」でした。相性の良い動物の方は仲良くなりましょう。


さて、昨日見学に行かせて頂いた、デモクラティックスクール『まっくろくろすけ』の創設者である黒田さんから、僕を含む保育者や保護者の方へ、子育てのヒントとなる言葉を頂きましたのでご紹介させて下さい。

『まっくろくろすけ』に通う子どもたちに親子や先生たちとの間でのストレスはあるかと尋ねると、たいてい‥「“将来”どうするの?“今”のままでは“将来”が不安だわ」と聞かされる時だと教えてくれます。絵に少し興味を持って描いてみただけなのに‥「絵が好きなのね。将来はイラストレーターになるの?」と言われたり、何でもする事なす事、全て“将来”に繋げられてストレスだと。子どもたちが、親や保育者、教育者に求めていることは“将来”のことではなく、“今”を応援してくれること。子どもが1人の人としての人格を認められた上で、何でも意見を言えるような環境を作って欲しい。


と、黒田さんは静かな口調でありますが熱くお伝え下さいました。確かに、「“将来”のために」「“将来”の夢のために」頑張ることが美徳である考えも一理あるかと思います。しかし、“今”を犠牲にすることを子どもたちは望んでいないのではないでしょうか?


どうなるかわからない“将来”を案ずることは、どうなるかわからない“占い”の結果に案じてしまうことと同じかもしれません。そんな“将来”よりも、子どもたちが応援して欲しいと願っているのは“今”なのではないでしょうか?


お昼ご飯時に2人の子どもが、せっせとフウセンカズラを取って、鍋に入れて遊んでいました。この2人は“将来”のためにフウセンカズラを取って遊んでいるのでしょうか⁉︎近くに保育者がいたのですが、もしかすると本当は「お昼ご飯早く食べようよ」と思っていたのかもしれませんが、2人が遊び終わるまで遠くから見守っていました。2人の“今”を応援していたんだと思います。


“今”を応援してもらう2人
2019-09-17
自由を最大限に保障するため

会議で自分の意見を言う時に緊張してしまう村上です。学生の頃は、「早く終わらないかな~」と、自分の意見など考えることもしていませんでした。


さて今日は、友人(岡山県にオルタナティブスクールを作ろうと画策中)と一緒に、兵庫県神崎郡市川町にあるデモクラティック(民主主義)スクールの『まっくろくろすけ』にお邪魔してきました。


4歳~19歳程度の人たちが学び合う場(今日は7歳~16歳の人たちが20名程度でした)でありました。チャイムや時間割などは無く限りなく自由が保障された空間でした。


しかし、集団の中で自由が保障されるためには、メンバーたちで決められたルールがたくさん存在します。デモクラティックスクールとしてのルールとしては、必ず話し合いで決めることがあり、大人も関係なく、現在の『まっくろくろすけ』にいるメンバー全員に発言権があり、1日のうちに大なり小なりのミーティングが何度か設けられます。自分たちで議題を出して、それに対して自分の意見を言う様は、僕自身衝撃的でもあり、大人顔負けの生産的意見の交換でした。


大人や子ども、年齢や性別などの区別なく、誰もが自分の意見を言ったり、通す、権利があり、それでいて、他者の意見をも聞き、通すことのできる関係性が存在するからこそ、最大限の自由が保障されている空間でもありました。


個人的には、1つの国を皆で治めていく姿に近い印象を受けました。既存の学校と比べると社会との距離がグッと近いころにあると感じられました。以前紹介した世界7大教育の1つに挙げられています、“サドベリー教育”でもあります。

※サドベリー教育の詳細については後日紹介させて頂きます。


幼児教育に携わる1人として、「自由を最大限に保障するため」のヒントが、何度かメンバー達で行われていた“ミーティング”の中にたくさんあった様に感じました。

自由への扉『まっくろくろすけ』
2019-09-16
“安心”して働ける仕事場

毎日やりたいことを好きなようにさせて頂いているお陰であまり“休日”という概念がない村上です。皆さま充実した連休をお過ごしでしょうか⁉︎僕は今年度より園内に新設されましたラボ(研究所)をお洒落にする為に古道具屋を巡っております。

※ラボ(研究所)にも是非遊びに来て下さい。


ちなみに、“休日”という概念は日本では江戸時代までは無く、明治時代以降の資本主義社会への足がかりとして存在したようです。人類の歴史から見ても、狩猟民族だった頃の先人には“休日”という概念は無かったであろうし、農耕民族となった頃も、決められた“休日”ではなく、自分で決めて“休日”を作っていたんだと思います。産業革命後、工業社会へ進む際に労働者の権利や効率化などを含めて、決められた“休日”が作られたのではないのだろうかと予想します。「働き方改革」が謳われている現在、人類の歴史から何か良いヒントがないか学ぶ必要があるなと考えております。


「働き方改革」をトミホ(富岡保育園)でもアップデードできるよう新たな仕掛けを考えてみました。今年度より、全職員を対象に「自分の家族や友人を園に招待する」ことをミッションの1つとしています。家族や友人から見ても『安心して働ける仕事場』でありたいという想いからです。

ラボ(研究所)
2019-09-15
暮らしの中での「見守る」

さきほど銭湯で祖父の背中を流しました村上です。敬老の日(今年は9月16日でしょうか)が近くなり、新幹線でひとっ飛びして元気な姿をアピールしてまいりました。


「見守る」保育をトミホ(富岡保育園)では実践しているのですが、よくこんな質問があります。

「“見守る”って、ただほっといているだけなのでは?」

「見守るって、どのように“見守る”のですか?」


そのような時には、たいてい‥

「どのように“見て”どのように“守る”か、日々試行錯誤しながら保育(暮らし)をすることです」

と、答えます。


僕の祖父は80を過ぎており足が少し不自由でもあります。しかしプライドは高く、自分で出来ることをされることを嫌います。

そんな祖父との銭湯の時間は、祖父に気付かれぬ様、行動や言動を“見ながら”、杖をつきながら歩く足が滑らないか安全を“守りながら”、『やってほしいサイン』が出たら、手助けをしながら「いい湯だな~」と気持ち良さに共感して入る時間なのです。


これって、トミホ(富岡保育園)での保育(暮らし)と似てる⁉︎と、思っちゃいました。子ども、大人、年齢関係なく、人と人との関わりにおいて、「見守る」は重要であり当たり前にあることなのだと思いました。


そして、「見守る」は一朝一夕に出来ることでなく、一緒に暮らしていく中で、相手への尊敬と感謝の気持ちが持てた上で、『やってほしいサイン』に気づけるか⁉︎なのかもしれません。

2019-09-14
「いじめ」をコントロールする

おはようございます。読書の秋を早朝から楽しんでいます村上です。今日は職員が私服DAYということで、どんな服装で出勤して来るのか楽しみにしています。(保育士のトレードマーク⁉︎エプロンとジャージをNGにしました。) 


さて、昨日紹介させて頂きました『ヒトは「いじめ」をやめられない」脳科学者 中野信子さん著書の本について。とても頷ける内容が目白押しであり、すぐに実践に移していかなければとの強い責務も感じました。


あえて、誤解を恐れず述べていきますと、そもそも「いじめ」は人類が進化し生き残っていくために必要不可欠な本能であること。そして特に真面目で狭い人間関係の集団になればなるほど起こりやすい事実があること。


では、「いじめ」を防止・抑止する手立てがあるのか⁉︎それは、本能してあることを前提として考慮し、大人も子どもも正しく適切な知識を身につけコントロールすることが最善策ではないかと。


人間関係の流動性を高め、様々な人に接して刺激を受ける体験を作ること。そして幼児教育を含む、僕たち教育機関が直ぐに実践にうつさなければならないのは、時代のニーズに合わせ、みんな“違う”、それぞれが“違う”という均一性を下げた教育マインドだということ。


そのためには、「義務教育」や「学級」、「クラス」、「会社」などの均一性の高い、統率のとれた団結心の強い集団組織を再考していく必要があると思いませんか?


現代の幼児教育を含む教育の在り方に議題を投げかけるようなブログになりましたが、今を生きる大人が真剣に考え取り組み必要がありますし、僕自身も早速実践にとりかかっていきたいと思います。

もちろん、この本で述べられている脳科学的な適切な知識(オキシトシンやセロトニンの作用や、メタ認知の知見も含め)に基づいていきたいと思います。

受け入れなければならない本
2019-09-13
“たった”の“だけ”のことを省みる

お月見大好き村上です。明日は今年の“中秋の名月”だそうで、縁側でお酒に満月を照らしながら「月が綺麗ですね」と一杯交わしたいところです。(保育園では明日のおやつはお月見だんごです)


さて、今日は私事で病院へ寄っていたのですが、そこでの看護師の方の所作がとても素敵でしたので是非ご紹介を。

本を読みながら(『ヒトは「いじめ」をやめられない』脳科学者 中野信子 内容は明日の早朝ブログにあげますので乞うご期待下さい)待ち合いで待っていると、看護師の方が出てきて、診察室へ誘導して下さいました。

普段どおりの仕事風景の様に感じますが、ドアを【両手を添えて】【音をたてずに】開け閉めされている姿がとても素敵に感じられ、危うく「月が綺麗ですね」と言ってしまいそうになりました。というのは少し冗談ですが。


僕自身、普段の所作はどうしているだろうか⁉︎忙しいという感情を覚えてしまった時に、バタバタとしていないだろうか⁉︎「人のふり見て我がふり直せ」という諺がありますが、この看護師の方のように、素敵な所作が出来ているだろうか⁉︎


“たった”両手を添える“だけ”

“たった”音を立てない“だけ ”

“たった”の“だけ”のことが特別なことをするまでもなく対人関係を築く上で重要なことなのだと改めて学ばせて頂きました。


2019-09-12
流れゆく時間の中で足を止める必要性

新しい本屋さんに行くとワクワクとドキドキが止まらない村上です。

今日は夏に出会った強烈なインパクトを受けた至極の絵本を一冊紹介させて頂きます。

「セミ」というタイトルの、作家がショーン・タンさんの表紙に異常なまでに惹きつけられる絵本です。「セミ」というタイトルとは予想もし得なかった物語が繰り広げられ、見終わると、ただただ唖然と呆然とする時間が流れました。

(内容と感想につきましては見てからのお楽しみにさせて下さい)


本(絵本を含む)は、書き手の意図とは裏腹に、読み手に伝わる可能性も含みます。しかし、それが余計と本の価値と可能性を感じさせるのでしょうか。流れゆく時間の中で、普段考えないことを「考えさせられる」時に、ふと我に返り足を止めることができます。


子どもに本を読んでほしいと願うなら⁉︎まずは大人が読む姿を見せることが何よりも大切だそうです。子どもに見せたい‼︎読ませたい‼︎本を選ぶ前に、大人自身が読みたい‼︎と思う本を選ぶ必要があるのかもしれません。


※僕の最近お気に入りの本屋は岡山県岡山市にあります「スロウな本屋」という古民家をリノベーションした素敵な空間の本屋さんです。絵本はもちろん、様々な「考えさせられる」本がズラリと並んでいます。

夏の終わりに至極の一冊
2019-09-11
尊重し合ったストーリー

夕方、園庭管理部に依頼されて園庭の水やりを楽しませて頂きました村上です。トミホ(富岡保育園)では、今年度より保育士や調理師、栄養士などの資格にとらわれず、職員全体で部活動制を取り入れています。各々で得意な分野や興味がある分野などに主体的に取り組み、また各部のリーダーとして園全体に働きかけて頂いています。ですから年齢や経験年数など関係なく全職員がリーダーシップを発揮できます。


芝生や木々に水やりをしていると、2人の女の子が何やら険しい表情を浮かべながら築山あたりを探索しています。会話が聞こえてきたので少し盗み聞きを。

(カマちゃんとはカマキリのことみたいです)

A「さっき、〇〇君が、カマちゃん叩いたから血が出そうになったんよ」

B「そうなん。カマちゃんかわいそうじゃな」

A「あと、カマちゃん子どもで、ひとりぼっちでかわいそうなんよ」

B「カマちゃん、子どもなん⁉︎だったら、お父さんとお母さん探してあげようや」

A「そうしてあげよ。かわいそうじゃもんな。村上先生‼︎カマキリのお父さんとお母さん、どこにおる!?!?」

(離れてるところから盗み聞きしていただけなのに、急に会話に参加が許されてビックリしました。)


2人の会話を聞いていると、人間も虫も同じ命を授かって生きていることを改めて学ばせて頂きました。そして、何より、2人の女の子は、自分の想像するストーリーと、相手が想像するストーリーを、尊重し合いながら、一緒にストーリーを育んでいくところに感動しました。


大人社会でもよくある場面ではないでしょうか⁉︎互いの意見の“違い”に対し、拒絶してしまうのか⁉︎それとも、尊重し合うのか⁉︎


この女の子2人は、互いのストーリーを尊重し合うことで、新しいストーリーを創造することができました。


よく、僕たち保育者は、子どもの育ちについて、何がどのように育っているのだろうかと評価することが求められているのですが‥


実は‥


子ども同士の姿は、僕たち大人が忘れてしまった(失ってしまった)大事なことに気付かされる、学ばせてくれる、思い出させてくれる、有り難い存在なんだと。

お父さんお母さん大捜索編
2019-09-10
知らないことを知る“勇気”に年齢は関係ある⁉︎

とみほ新聞(富岡保育園の新聞)配達員の村上です。午前中、近隣の住民のお家へ配布しにお邪魔させて頂きました。実は、昨日の地区の敬老会でも敬老の方はもちろん役員の方にも配布させて頂きました。なぜ⁉︎保護者に限らず、地域の方たちにも配布するのか⁉︎もちろん、地域の方たちとの交流を深めたいというねらいがあります。そして、現在、トミホ“(富岡保育園)で行われている保育リノベーション(子ども主体とした保育に転換した保育)について、理解をして頂きたい、また興味を持って頂きたいという思いからでもあります。


すると、さっそく昨日の地区の敬老会の主催者が園へ訪れて下さり感謝の意を述べられました。

「先生、昨日はありがとうな。本当に、今までの敬老会で1番楽しかったわ。子どもたちの踊りも最高じゃったな。また、並んで出て来ずに、あのバラバラな感じが、可愛いし、楽しそうに踊っていて良かったが。それに先生たちも、必要以上に何も言わないようにしとんじゃな。あの新聞読んで、よく分かったわ。ありがとうな。」

この主催者は、70台後半でもありますが、新聞の内容には、新しい保育観を脳科学の研究結果などを用いて説明したりなどもしましたが、とても好意的に理解を示して下さり、それでいて温かい目で見守って下さっていることに感謝です。


そして、もう1つ。例年だと、敬老会に向けて並ぶ練習から踊りや言葉の練習もしていましたが、今年は全く練習などをせずに、敬老会の趣旨だけを伝えて参加しました。子どもたちは、初めての場所でも、温かい目で見守って下さる大人に囲まれると、緊張感を感じさせることなく、思い思いにリズムに乗せて体いっぱい表現していました。そして、会場から割れんばかりの拍手をもらい満足感や達成感にも浸っておりました。


僕の個人的見解ですが、練習を行い完璧を求めることで、人前では完璧な表現をしなければならないという概念が埋め込まれます。すると、どうなるでしょうか⁉︎完璧な表現が出来るか出来ないか不安に思ってしまうと、何事にもチャレンジするハードルが高くなってしまいます。


そして、加えて、僕たち保育者が、会場で練習通りの完璧な表現を求めてしまうと、会場の主催者たちは、どうなるでしょうか⁉︎完璧な表現も求めてしまいますし、保育者に気を遣って完璧な表現ができるよう配慮を徹底して下さるかもしれません。


行事の目的が、完璧な表現をするために一生懸命練習することなのか⁉︎それとも、敬老の方たちと触れ合い、そして尊敬や感謝の気持ちを伝えることなのか⁉︎


行事を行う時は、必ず『目的』を明確にすることと、その『目的』を職員全体に周知し把握することに徹底しています。


なにより、保育の方法の変化について、子どもの姿と保育者の姿とを見て気付いて下さり、そして新聞を読んで下さり理解を示して下さったことに感謝するとともに。若いから、◯◯歳だから、ではなく、『知らないことを知る勇気』を感謝の意と共に伝えて下さった主催者を心より尊敬しますし見習いたいと思います。

勇気のこもった礼御礼状
2019-09-09
エネルギー溢れる時間

園の地区である笠岡市富岡地区敬老会にエジソン(5歳児クラス)の子どもたちと参加してきました村上です。

77歳からが敬老者となり、市の議員の方たちからのメッセージなども含めてお祝いの場が開催されました。子どもたちも、特別練習した出し物ではなく、普段親しんでいる手遊びやパプリカなどのダンスを披露してお祝いの場に華を咲かせる役目を果たしました。

僕の隣で観覧していた敬老の方から「子どもって見るだけで可愛いわ。のびのびしていているし、しっかりしているね」との有り難い言葉を頂きました。“子どもの味方”な“子どもの見方”をして下さった敬老の方から、地域に「大きな受け皿」を持った方々がたくさんおられることを改めて感じ感謝しなければと感じました。


また、その後は、地域の方たちのカラオケや、大正琴、総踊りなどの出し物が次々と繰り広げられました。90歳を超えられた方の力強い歌声には驚きました。地域を今まで築き守ってきて下さった方々の“エネルギー”。そんな“エネルギー”を持った人材育成の責任を感じるとともに、僕自身も敬老の方たちに励まされる『エネルギー溢れる時間』でした。

エネルギー溢れる時間
2019-09-08
自ら動いて自らの世界を変化させる

こんばんは。学生時代あれほど嫌いだった勉強が最近最も楽しい遊びになっている村上です。


今日は京都大学大学院総合人間学部の田中真介先生の「乳幼児期の発達の魅力をとらえた保育・子育て(乳児期後半6〜12ヶ月)」~子どもたちの「言葉にならない言葉」を受け止める~を受講してまいりました。


せっかくなので「能動ネコと受動ネコの視覚的断崖装置実験」にまつわる研究結果を紹介してみます。実験までの期間“自らの足で動く”能動ネコと、“箱に入れられて足を動かさずに移動する”受動ネコとを、断崖まで行くか行かないかの実験を行いました。結果は、能動ネコは断崖を知覚し行かずに、受動ネコは断崖を知覚できずに行ってしまったのです。これは、奥行きを知覚する上で、「自発的な運動」と「視覚的なフィードバック(自分の動きと世界の変化を繋ぐ」ことの重要性の証明でもあります。


赤ちゃんは、“自ら動いて自らの世界を変化させます”。もし、歩こうとしているにもかかわらず、ハイハイしようとしいるにもかかわらず、自ら動こうとしているにもかかわらず、大人が不必要な介入をしてしまったら⁉︎赤ちゃんが自らの世界を変化させることができるでしょうか⁉︎


※ちなみに、ハイハイをする上で、赤ちゃんは大好きな存在に向かって、段差があっても粘り強く進むことで、二足歩行へと段階を踏んでいきます。歩く練習をさせれば良いのではなく、まず大好きな存在が必要なのだということ。そして段差などの発達的抵抗も必要なのだということ。


赤ちゃんが何も出来ない存在だという認識を改める必要があります。そして赤ちゃんの行動や言動には、人類の進化や存続への深い意味が含まれているように思います。そして何より、田中先生のように、まずは乳幼児の1つ1つの発達を“おもしろがる”ことが子育てを楽しむ上で1番大切なことなのではないでしょうか。


余談ですが、僕も能動ネコや、歩き始める赤ちゃんのように、“自ら動いて自らの世界を変化させる”生き方をしていきたいと思います。

2019-09-07
幼児教育って⁉︎特別なこと⁉︎

おはようございます。今年度より新設されましたラボ(laboratory 研究室)にて朝活をしています村上です。毎日早朝の職員が僕の机に花を生けて下さり、素敵な空間を演出して下さることに感謝しています。


さて、昨日の遠藤先生(東京大学大学院教授 発達保育実践政策学センター長)の「乳幼児期におけるアタッチメントと非認知的な心の発達」の講義について、少しだけ振り返りたいと思います。


まずは「アタッチメント」とは何なのか⁉︎「非認知」とは何なのか⁉︎を理解していないと大きな誤解を招くので簡単な説明をしておきます。


「アタッチメント」とは、くっついて安全感・安心感に浸ろうとすること。(何らかの危急時あるいは危機が予期された時に生じる恐れや不安等のネガティヴな情動を、特定他者への近接性の確保を通して制御・調整しようとする行為)


「非認知」とは、心の土台。(自己と社会性の力)


まずは、ここを押さえて頂いた上で、世界のあらゆる研究を通して、乳幼児期に適切な教育を受けると、幸せな大人(心身が健全な人間)になる確率が高くなると証明されていること。

では、乳幼児教育とは⁉︎何か特別なことをすることなのでしょうか⁉︎(早期から知育教材や英語教育をすること⁉︎)


人間には認知能力(読み書き、そろばん等の点数化できる力)と、非認知能力(点数化できない心の土台)が司られていますが、非認知能力なくして、認知能力は育まれないこと。心の土台があるからこそ健全な人間へと育まれること。それが、欧米諸国の研究にて明らかになっています。


そして『心の土台』の中にある、“自己”に関わる心を育むためには⁉︎(自己には、自尊心、自己肯定感、自制心、グリット、自立心、自律性が含まれます)他者から無条件に愛されていると認識すること。それは何か出来るようになった時ではなく、「オギャー」と泣いた時に、いつだって受け入れてもらえることで、自分の価値を見出すんですね。

そして“社会性”に関わる心を育むためには⁉︎(社会性には、心の理解能力、共感性、思いやり、協調性、道徳性、規範意識などが含まれます)人って信じていいんだよなと思えること。良識ある大人が一貫して温かい感情で接することで育まれます。


では、“自己”と“社会性”の力である『心の土台』(非認知)を育むために、「いつだって愛されている」「人って信じていいんだよな」と思えるようになるためには⁉︎『アタッチメント』(くっついて安心感に浸ろうすること)が最も鍵を握る‼︎と、遠藤先生は述べられていました。


そして、誤解のないように、『アタッチメント』は、いつ誰かれ構わずという意味ではなく、重要なのは“いざとなったら”くっつける。そして1人ではなく何人かの他者がネガティヴな情動の時に安心感を与えることで、スキンシップと混在しないよう注意して下さい。


“いざとなったら”自分のことを見捨てず受け入れてくれ、そして肩を押すように応援してくれる存在。


そして、「いつだって愛されている」「人って信じてもいいんだな」と子どもたちが思えるようになるためには⁉︎何か特別なことをする必要があるのでしょうか⁉︎

寂しい時に、「寂しかったね。でも私がいるから大丈夫よ。」怖い時に、「怖かったね。でも私がいるから大丈夫よ。」痛い時に、「痛かったね。でも私がいるから大丈夫よ。」と、当たり前の繰り返しで『心の土台』(非認知)は育まれていきます。


幼児教育とは⁉︎『心の土台』のための教育であり、それを担う保育者の専門性は何か特別なことをさせることではなく、『当たり前』のことの中の意味を理解し、どんな時もブレずに、無条件の愛をもって応援することなのです。

2019-09-07
現代に次世代に必要な“ため”とは⁉︎

学生時代に電車通学に憧れながら必死に自転車を漕いでいた村上です。ただいま電車に乗って、東京大学大学院の遠藤利彦教授が講演する「乳幼児期におけるアタッチメントと非認知的な心の発達」を学びに行っております。

※詳細は後ほど報告します。


さて、トミホ(富岡保育園)から出かける前に、3つの“ため”エピソードがありました。


水着に着替えている最中に僕の姿が見えたのでしょうか。急いで駆け寄ってきた女の子。

「先生、お弁当したげる」

最初、僕はお昼ご飯を、子どもたちに弁当箱によそってもらっているのですが、この女の子は毎日僕の“ため”に気遣って声をかけてくれます。今日はお昼に出かける用事があることを毎日の感謝の気持ちと一緒に伝えると、少し残念そうでしたが‥

「また明日してあげるな」

と、快く言ってくれました。


そして、書類を提出に事務所へ行く際中、ひかり(2歳児グループ)で、1人の男の子が泣いている場面に遭遇しました。周りには5人ほどの子どもたちが囲んでいます。ついつい「誰か泣かせちゃったのかな⁉︎」と、つぶやいていると‥

そこへ居た職員が「よく見て。可愛いいのよ。周りの子どもたち、泣いている男の子の“ため”に慰めようと、囲んで変顔しているのよ」

場面を切り取ってしまうと本来の子どもたちの姿を見失ってしまう。前後の背景をよく見守ることを常に『子どもの味方』の視点で『子どもの見方』をされる職員から学びせて頂きました。


そして、出張へ行く準備が整い、玄関口を出ようとすると、1人の女の子が「先生!アトリエ行こう」と誘ってくれました。

この女の子は、昨日一緒にアトリエで遊び、自分が汚していないのにも関わらず最後まで片付けとお掃除を手伝ってくれた子どもです。

「先生!大変そうだから手伝ってあげる」

芸術が爆発されたアトリエ(床や畳が鮮やかに)を、せっせと拭いていると、僕の“ため”に声をかけてくれたのです。

僕がよく現場で保育をしていた頃「自分の遊んだ玩具は自分で片付けなさい」と指導していました。しかし、その言葉を裏返すと「自分の遊んだ玩具だけを片付ければ良い。自分の遊んでいない玩具は片付けなくて良い」という意味になります。そのような言葉を習慣的にかけられてしまったら⁉︎

本来、片付けや掃除は、「綺麗にすること」が目的です。汚れてしまった空間を綺麗にする大人の姿を見せることがまずは大切でもありますし、自分が汚していないのにも関わらず自ら手伝ってくれた女の子に僕も見習わなければと。


3つの“ため”。どれも見返りを求めない他者への愛に包まれていたエピソードでした。

2019-09-06
爆発する力

帰り道に雷の稲妻を見た村上です。皆さま1日お疲れ様です。


今日は午後より今年度新設されました“アトリエ”で市長来訪のブログを書いておりました。

日本では2020年より小学校でプログラミング授業が必修化されます。算数や理科の授業で、物事の手順に対する思考や論理的思考力を育成する学習を行う時間が設けられます。これは、世界でいうSTEM教育の一環でもあります。STEMとは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(ものづくり)、Mathematics(数学)の4つの単語の頭文字を組み合わせた造語です。そして現在、Art(芸術)を真ん中に加えたSTEAM教育が世界では取り組まれています。なぜ、Art(芸術)を真ん中に加えたのか⁉︎正解のない芸術的思考を思考の真ん中にすることで、科学や技術、ものづくりや数学に、柔軟性をもった新たな価値観を創造することができるからです。


そんなArt(芸術)をトミホ(富岡保育園)でも、子どもが主体的に取り組めるよう環境を整えております。決して、大人にさせられることのないよう試行錯誤していきたいと思います。


なにはともあれ、「芸術は爆発だ‼︎」と言わんばかりに没頭し、失敗をもろともせず仲間と笑い合うその姿に、たくましさを感じてやみませんでした。

爆発の下ごしらえ
2019-09-05
まずは当事者意識を‼︎

さきほど、笠岡市の市長、こども部部長など、市の子育てに携わる方々とディペードを楽しみました村上です。園内を見学して頂きながら、トミホ(富岡保育園)での保育(丁寧な暮らし)を体感して頂きながら「保育リノベーション」についてお話ししました。子どもたちとも絵本を読んだり、水遊びをしたり、沢山関わって頂き感謝しております。

 

“地産地活”というキーワードを用いながら、笠岡市で生まれ、育ち、世界へ羽ばたき、そして笠岡市に貢献してくれる人材を育成するためには⁉︎『当事者意識』を乳幼児期から育む必要があるのではないでしょうか。その為には「自ら考え判断し行動する」習慣を身につけなくてはいけないのでは。そんな話をさせて頂く中で、市長、こども部の方とも共感し合うことができ嬉しく思いました。


「自ら考え判断し行動する」習慣を身につけるために。乳幼児期を含め、学童期、青年期など、世界では従来の一斉教育以外の教育法がスタンダードになりつつあります。世界7大教育(詳細はまた取り上げさせて頂きますのでお楽しみに)が、もし笠岡市で子どもが選択できるとしたら⁉︎こんな幸せな町は日本ではないのではないでしょうか⁉︎

街の市長と触れ合う
2019-09-05
子どもが大人を見る視点

こんばんは。コオロギが鳴きはじめたかと思うと、セミがまた鳴き出す今日この頃を楽しんでいます村上です。

暑さが復活したことにより、園庭では水遊びで賑わう声が。トミホ(富岡保育園)では、「水遊びは夏だけ」という固定概念を見直し、年中取り組める様に環境を設定しています。水はどんな玩具にも勝りますよね。


さて、夕方に「お父さんごっこ」をする男の子2人がいたのですが、会話の内容を聞いていると、家事や園の送迎などもこなすイクメン感が漂うお父さんになって遊びを展開しておりました。


時代の変化とともに、ごっこ遊びの内容も変化しているのが如実に分かる遊びのシーンでした。空想(ファンタジー)の世界と現実の世界との間にあるような“ごっこ遊び”。特に、ままごとは身近な存在(家族や保育者など)の姿が、子どもの目にはどのように写っているのかが分かる遊びではないでしょうか?


ファンタジー漂う“おしいれ”
2019-09-04
指は突き出た“脳”

おはようございます。朝活がてら、園の近隣にあるパン屋さんに(なかむら)行きました村上です。「朝1番早いのはパン屋のおじさん♪」の歌のフレーズが脳に巡りました。


先日、そら(0.1歳児)グループのお昼ご飯をのぞかせて頂きました。先生に食べさせてもらっている子ども、手づかみで食べている子ども、スプーンで食べている子ども‥。手指機能の発達状況に合わせて、一人ひとり食べ方が違っていました。その段階は全て意味があり、手づかみ食べを経て、スプーンなどの食具を扱い、こぼす体験を経ることで、手首や指先の動かし方や調整の仕方などを覚えます。無理に、スプーン(食具)を使わせたり、こぼさせないように敏感になったりしないよう気をつけたいとなと思いました。


また、そら(0.1歳児)のお部屋に行くと、黙々と、お人形さんの服のボタンを留めようとしている女の子(1歳9ヶ月)がいました。なかなか上手く留めれないようで、何度も何度も挑戦していました。つい、やってあげようかと思ってしまったのですが、思いとどまり見ていました。


結局、この女の子(1歳9ヶ月)がボタンをとめれたかどうか分からないのですが‥目の前にいる僕を他所に、一生懸命、かわいい小さな指を使い、没頭していたのは間違いありません。ボタンをとめる結果を求めていたのではなく、その行為自体を、女の子(1歳9ヶ月)が楽しんでいたとしたら⁉︎僕は、いらない“お節介”をやかなくて良かったとホッとしました。


※手づかみで食べたり、スプーンなど使ってこぼしながら食べたり、ボタンを何度も何度も留めようとしたり‥どれも、“指”を使った動作です。『指は突き出た“脳”』と言われている程で、頭を使いながら手指を動かすことで脳への血液量か増えて、脳が活性化すると言われています。

指を使いこなす
2019-09-03
“安心”を守るため

園の地元のラジオ局、FMゆめウエーブ(笠岡放送でも見れます)9月2日の19時から、また9月9日の13時と19時から放送される番組でお喋りさせて頂きました村上です。富岡保育園での取り組みや、僕自身の想いを発信させて頂けることに、とても有り難いと感じております。


今日の午後からは、市役所の方と、警察署の方と一緒に、園の近隣の危険箇所について現場検証を行いました。早速、園を出てすぐの横断歩道付近に「歩行者注意」の文字を道路に記す等の改善策が決まりました。

子どもや保護者の方、そして保育者、もちろん地域の方たち全てが“安心”して暮らすことができなければ平和な心は築けません。今後も“安心”を守るために各機関と連携を密にとっていきたいと思います。

※笑顔が素敵だった今日来て頂いた警察官の方に、「事件や事故が無い平常時にも園に来訪して頂きたい」とお願いしました。常日頃から、社会全体から“守られている”という気持ちが、子どもが無我夢中に本気で遊びに没頭するためには必要ではないでしょうか。

“安心”を守る
2019-09-02
保育の真ん中に絵本を

地元の消防団の操法大会に参加してきました村上です。地域の人たちが、年齢の違いなく集まり、談笑できるコミュニティの重要性をひしひしと感じています。


さて、昨日開催されました『とみほ村サミット2019』では、各職員が夏に体験してきた研修を、保育実践を通し経験に変え、そして経験したことをアウトプットすることで学びに変えることができました。学びを自分の言葉で伝える難しさと、“学び合い”は「楽しい‼︎」という気持ちを再認識させられる時間でした。


では、その中の1つの講座をご紹介させて頂きます。


『保育の真ん中に絵本を』

保育士あるあるかもしれませんが、絵本を遊びの導入や、時間と時間の合間に使うケースが多く、それって、もったいないと思いませんか?

絵本は、大人と子ども、子どもと子ども、絵本と子ども、また絵本と大人のコミュニーケーションのツールになり得ます。そして、絵本の中で、自分を重ね合わせたりなど、ファンタジーの世界を体験することもできます。それは、子どもだけでなく大人も可能なのです。


そんな価値ある絵本を、『保育の真ん中に』おいてみませんか?との提案でした。


また、絵本を読む時も含めて、子どもは大人の表情を読み取っています。それは赤ちゃんの頃よりも可能な能力です。

だとするなら、子どもに笑顔で生きて欲しいと願うなら?大人が笑顔で生きていなくてはなりません。



※絵本を読む際、大人は、「つい!」字が読めてしまうので字から読み取ろうとしてしまいますが、絵本の醍醐味は“絵”です。子どもは、大人が読み取ることを忘れてしまった“絵”から味わい楽しみます。僕も見習いたいと思いますし、乳幼児期で、絵本の扱いについて「字を読ませる」ことに偏重しないよう気をつけたいと思います。

学びの輪
2019-09-01
全職員が全園児の担任

早朝より近所のお寺の座禅会に参加しました村上です。小1時間程ではありますが自分との対話ができ充実した朝活をさせて頂きました。

(しかし、33歳児の今でも、じっと座るのは苦手でした。)


さて、トミホ(富岡保育園)では、お昼と夕方の2回に分けて、各グループ(にじ・ひかり・そら)の各週リーダーと主任先生でミーティングを行っています。子どもの健康状態などを含めて、その日にあったことを報告、連絡、相談をします。そして、ミーティング後には、各週リーダーが、各業務でミーティングに出られない職員に伝達をします。そして、1日の終わりには、ニュース記者担当の職員が重要事項をまとめて全職員へ伝達をします。


なぜ⁉︎ここまで何度も伝達を何度も行うのか。それは、保護者の方から信頼し保育を任せて頂いているからです。その責任は保護者の方から、そして社会全体から授かっているものと思っています。


『全職員が全園児の担任』であることを常に念頭に置きながら、チーム保育に努めていきますので、皆さまご協力宜しくお願いします。


土曜日の午後からは、職員会議です。今日は特別に園内研修を実施する予定となっております。

「TOMIHO村サミット2019~夏の学びを、すったもんだせよSP」です。夏に開催された全国の保育研修。参加した職員が仲間と共に、学びを擦り合わせ、揉み合わせる貴重な時間です。内容につきましては後日ブログで報告させて頂きますし、日々の保育に即還元するよう努めますので、乞うご期待下さい。

暮らしを支える時間
2019-08-31
手段が目的化してしまう罠

昼ごはん前に、にじ(3.4.5歳児)グループの手洗い場で、素敵な生け花を発見した村上です。なんだか心までもが洗われますよね。牛乳パックの花瓶に名前が書かれていた子ども達と、植物好きの職員、4人で、園庭の花壇の草花を摘んで飾ったようです。4人での素敵な会話までもが想像できますよね。


トミホ(富岡保育園)では、生け花教室は勿論のこと、体操教室や英語教室など、講師の方をお呼びして年齢児別に同じことを揃ってする活動は開催しておりません。しかし文化に触れる活動は、日常の暮らしの中にありますし、体を動かしたりする場面も遊びの中で常に見られます。  

大人が体験して欲しい目的が、文化に触れたり身体を動かしたりすることであれば、特別な教室を開催せずとも目的は果たせているように思います。しかし、目的の為の手段である、年齢児別に同じことを揃ってすることが目的になってしまっては、手段が目的になってしまい本末転倒になってしまうのではないでしょうか?

今の乳幼児達が大人になる頃には、同じことを揃ってする仕事はAIが担ってくれているでしょう。人間は、“自ら考え判断し行動すること”に価値が見出されるのではないでしょうか?僕たちトミホ(富岡保育園)はその力を育てたい、守りたい、大切に保育していきたい、と思っております。

※乳幼児期に専門的な分野の教育を指導することを選ばない理由として、“認知能力と非認知能力”という観点での理由があります。詳細は今後のブログで紹介させて頂きます。


それにしても、お花のある“暮らし”は心が豊かになりますね。


“会話が聞こえてくる”お花
2019-08-30
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